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上原輝男記念会 上原先生著書からの語録

「上原輝男記念会 上原先生語録集」では元玉川大学教授、上原輝男(文学博士 専攻 心意伝承学)の語録を紹介しています。 非常に多岐に渡っていますが、先生が生涯をかけて探求された、この風土、歴史、文化に根付いた<日本人>ということですべては繋がっています。 多様な価値観によってふだんの生活も国際社会での関りも難しさをます現代社会において、先生の語録は大きなヒントになると考えています。

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上原語録058 「古典入門」

子どもへの古典入門は、辞書的な意味を子どもに暗記させるのではない。文学から入るのではダメです。 生活から入るべきなんです。「いただきます」「ごちそうさま」が古典だろう。この「言葉」を教えるのではなく『心』を教えるんだよ。
 「さようなら」っていうのだって、もともとは接続詞だったんだから。「お別れしたくはないですが、さようならばお別れいたしましょう。」っていうことだったんですよ。        (日本教育史特講)


(歌を詠むことから)
 国文学的な歌詠みをさせるわけではないんだ。教室でやることは何か考える事が大切ですよ。国文学者を育てているのではないのですからね。
 百人一首を扱うにも、「どんな歌をおはこにしようとしているのか」が問題なんですから。授業を受ける者が「どう育っていくのか」考えるべきなんです。
 中・高生は、ある面では徹底的に鍛える必要はあるけれど、小学生には必要ない。 (平成六年新年会)
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上原語録 057「構え」②補足 「研究授業のテーマ」との関連で

今回聖徳学園小学校で行った研究授業のテーマ『人間の生命活動と宇宙・自然の振幅をめぐって -生命活動としての感情と思考の相互関係を考える-』の後半部分との関連です。

この「感情」という部分には内なる無意識の世界から湧き上がってくるイマジネーションなども含まれているとお考え下さい。


それが授業の形になった時には、今日は「思考」、今日は「感情」、今日は「構え」となっても、常にその関連具合が問題になる。(「用具言語」に関しては今回は外してある)

授業者としては「思考・感情・構え」というのは、絶えず隣接しあうもの、三つの要因から構成されているって考えていかなければならないだろうって、私は思うね。

バラバラである訳はないんでね。人間の頭の中っていうのは必ずこれはかみ合わさってなければならない訳でしょ。 S,57,8,5

(注)こうした「構え」は日本人の考えてきた「型」(様式・儀礼)などとも深く関わってきます。「型が整う」ということは、自分の意識世界の中にある種の「器」が新たに出来上がるようなこととつながります。
器が出来上がることで、さらに広大な無意識の世界から流れ込んでくるものがある・・・それを「心意伝承」というように言えるのかもしれません。

今回、児言態の教育実践は「心意伝承」ということを前提として踏まえていることが他との大きな違いという指摘もなされました。

心意伝承という用語と共に、児言態では「先験的イメージ」と呼んでいるものがあります。これについてはまたとりあげます。

上原輝男先生とウルトラマン ツイッター補足①

ウルトラマンの作者として知られる金城哲夫氏は高校時代・大学時代の上原先生の教え子です。特撮の神様と言われていた「円谷英二氏」に彼を紹介したのも上原先生でした。
(上原先生と円谷英二監督は知り合いというだけではなく、映像の仕事でもつながりがあったようです)

ウルトラマンの発想の原点は金城氏が高校の授業の中で上原先生から「まれびと論」を「沖縄の神の信仰」と関連付けて説かれたことにあると言われています。

「まれびと論」とは上原先生が従事していた「折口信夫先生」が提唱されたものですが、ごく簡単にいうと、海の向こうの神の国から神が「まれびと」(来訪神)としてやってきて、その土地に祝福をもたらせて再び帰っていく・・・・というものです。
この「帰っていく」というのが大事なポイントです。

「お正月」「お盆」「なまはげ」などが代表的なことですが、これが日本人の意識のベースに今でも残っている名残がキリスト生誕の部分よりも「サンタクロース」がクローズアップされている「クリスマス」の受け入れ方にも色濃く出ているといえるでしょう。

ウルトラマンの主題歌「光の国から僕らのために 来たぞ 我らのウルトラマン」に「まれびと信仰」とのかかわりが端的にあらわれています。だから3分間で去っていかなければならないという設定にもなっています。(「水戸黄門」などもこの型ですよね)

(「まれびと」に関しては稿を改めて書きたいと思います。)

金城哲夫氏の生涯(その中での上原先生との関り)については
「ウルトラマン昇天 M78星雲は沖縄の彼方」(山田輝子著 朝日新聞社 1992年)
・・・後に朝日文庫として「ウルトラマンを創った男」として再販。

また子ども番組の脚本家の大御所である上原正三氏が書かれた
「ウルトラマン島唄」(上原正三)筑摩書房 (1999/10)にも先生との関りが詳しくあります。

共に現在は品切れ・絶版のようなのが残念なのですが・・・・


ネットで「金城哲夫」と検索すると、概略や、ウルトラマンやウルトラセブンの中に「金城さんや沖縄方言」「民俗学」、さらには「沖縄問題」がどのように反映していたか、などについても解説されているサイトが結構あります。


ニコニコ大百科 http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%87%91%E5%9F%8E%E5%93%B2%E5%A4%AB
ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%9F%8E%E5%93%B2%E5%A4%AB


このブログでも今後また何度かに分けて触れていきたいと思います。

☆編集者 余談
平成4年、私のクラスで児言態の研究授業が行わることになった時、事前に子ども達に上原先生の紹介をしたのですが、ウルトラマンや金城哲夫さんのことも話しました。
ウルトラマンの生みの親である金城哲夫さんの恩師ということから子ども達は
「それなら上原先生っていうのは ウルトラの父のお父さんみだいだから ウルトラのおじいちゃん なんだね!」と大騒ぎ。

先生がやってくる日を「ウルトラのおじいちゃんが僕らの教室に来るんだ」と心待ちにしていました。まさに「まれびと」(来訪神)でした。

「原爆」② ツイッター055補足

*我々や子ども達に被爆体験について語られている言葉はたくさん残っています。その中でこれは平成5年の研究授業で6年生たちに語られた記録です。
反戦というよりは「人間の意識」についてがテーマです。

・・・「井の中の蛙」という諺知ってるでしょう。・・・人間というものはなかなか今住んでいる場所、今住んでいる時間、そういうものがなかなか分からない。そこから外に出た時に初めて分かる、というようなことなんですよね。
 (『意識の転換』と板書)
 意識を持っている、この意識が転換する。がらっと変わる。そういうのを『意識の転換』という。
 今日の授業をやって意識の転換が出来る様になるかならないか・・・こういうことを今日はやってもらおうと思っている。・・・ おじさんの体でもって、おじさん自身が体験したことで、意識の転換を起こさないわけにはいかない事にぶつかったの。それを少しお話しますね。・・・
 (原爆の体験談)
 ・・・おじさんは広島の駅へ向かいました。切符を買うために駅へ入る五~六メートル手前でした。・・・この時にドンだね。そしておじさんは倒れたというよりも倒れなくちゃいけないと思って身体を防いだ。 ところがその時おじさんの意識は、日常君達が今、君達の意識が普通に働いていると思うけれども、普通の状態ではなくなった。逆上というのわかる?気分が逆上してしまう。あるいは興奮してしまう。上がってしまうわけだ。普通の状態でなくなってしまう。意識が。転換を起こし始める。
 今、甲子園野球やっているね。初めて甲子園に行くとピッチャーが上がっちゃって、どこに投げていいのか分からないというような状態、時々起こす。・・・原爆でやられるんだから、当然逆上して訳分からないという状態になる。
・・・おじさんはもはや広島の駅に切符を買いに行ってるなんてケロッと忘れてしまっている。そしてそこが広島の駅前であるということも分からなくなった。なぜ分からなくなるかというとねそれは道が道でなくなる。道がつぶれたから。・・・建物は壊れてしまって、だから当然広島の駅はそこにあると思っても見えない。・・・今乗ってきた市電は既に倒れている。横になっている。そうすると大変なことが起こったということすらも分からない。人間というのは。
 この場所が広島の駅前だという認識ができない。今君達は北東小学校のこの教室に今いると思っている。だけども次の瞬間に君達は「ここどこ?」ということが起こりうるんだよ。今、丁度四十一分。君達は四十二分にもここにこうしているって思ってるだろうけれども、今ここで原爆が一発、バンといったらここにいることすらわからなくなる。そういう体験をおじさんは持った。
 もう一つ言っておこう。自分のとなり、見て御覧。その人は男の人であるか?女の人であるか?わかるだろ。原爆が一発落ちたら分からなくなっちゃう。・・・怪物の中にいるようなもんだよ。自分の顔だけ見られないから自分だけ人間の顔だと思っている。ところが回りはみんな怪物なんだね。そういう状態が起こった。だから、まとめるよ、最後に。
 人間の意識はなんという頼りないものだろう、とおじさんは思った。ここが広島の駅前であるということすらもわからない。隣にいるのが男か女かそれすらもわからない。こんな状態になりうる。
 人間の意識って何が本物なのだろう、とその時考えた。
 今日、君達にはこれから『意識の転換』ということを勉強してもらう。じゃ、先生かわるからね。




「原爆」① ツイッター056補足

被爆体験を綴った先生の私小説「忘れ水物語」あとがきより

(丸木夫妻の描かれた絵をみての感想続き)
書かねばならぬことは、事実よりも、その事実に遭遇した人々の想念なのだ、と自覚させられた。

・・・以後、馬歳を重ねて四十余年、その間、肺癌にも罹り、いくらか人間の業のようなものが見えてきたといったら、生命冥加を知らぬ奴めがと、またまた死神を刺激することになるであろうか。

しかし、人は、生まれ変わり死に変わりすることが、生命の存続であると知ったからには、書き残されねばならぬことは、その凄絶さではなかった。その修羅ぶりでもなかった。
そんな時、ふと、巻頭に揚げた和歌が、その思いをまとめてくれたのである。

忘れぬる あしたの原の 忘れ水 行くかたしらぬ わがこころかな

・・・忘れても忘れ得ざるわがこころの秘めごとを、私は素直に書き綴ればよいんだ、と思った。それは一口に言って、幼な心に通う。・・・・・

*あとがきはまだまだ続きますが、今回はとりあえずここまでの掲載にします。
「忘れ水物語」上原輝男著 1989年 2月6日 第1刷発行 主婦の友社

プロフィール

HN:
上原輝男記念会
性別:
非公開
自己紹介:
本会は、上原輝男の功績を顕彰し、民俗学・国語教育学の発展に寄与する研究と交流を目的として設立されました。

ここでは上原先生が探求された事柄を、広く一般の方々にも知って頂くために、先生のあらゆる分野の語録を紹介しています。

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