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ツイッター上原語録065 「色」追記含む

・「色気」の「色」が日本人の『いろ』に近い。我々の『心の動き』が『色』である。

・「いろいろ」は色の要素の交わりではなく『心があちこちに動くこと』である。色彩のバラバラによって心が動くから「いろいろ」と言った。

・剣道では「相手の色を打て」という。これは『心を打て』ということ。 *剣道に限らず『道』では色(感情)を相手に見せぬ。

  
 
(参考)江戸時代の文化に関して田中優子さんの「江戸の恋」(集英社新書)、またそれをもとにしたNHK知るを楽しむテキスト 歴史に好奇心(2008年)「江戸の色恋ものがたり」に江戸人の「好色」という点から色に関する意識が述べられています。現代の感覚とはかなり違ったもので、上原先生のこれらの言葉をあわせて考えてみるとさらに興味がかきたてられます。(編者M・M記)
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ツイッター上原語録063 「正月」②追加

正月っていうのは神様と接触するんですよ。日本人はもともとあらゆるところに『神性』を感じたんです。神様と交わる特別な日だから「晴れの日」としていい服をきたんですよ。しめなわをするのもこの中は神様と交わる特別な空間だからきたない服では入るな、という立ち入り禁止のマークだったわけです。

 正月が何故楽しいのかといえば、その原点は神様ですよ。だから正月はゲームをする。先程話した『かける』神様とかけひきをする、かけごとをして試すんですよ。神様が私につくのか相手につくのか証明しようとしているんですよ。だから「今年はついてるな」なんて言うんだろ。負けたら墨をぬったりするのもそれなんですよ。普段のゲームだったら墨なんかつけないじゃないか。神様がついていないことの印をつけるんです。

 「ふく笑い」だって何故正月にするのか・・・墨をつけるのと同じで醜いものを笑うんです。笑っている方には神様がついて、笑われる方には神様がつかない・・・・そんな事をやっているんですよ。現代人になって意識は変わっても無意識はかわっていないんですよ。

 お年玉は何?・・・あれはその年の魂を目上のものが目下のものにわけてやることをしているんです。玉つまり神様を身に付けたから祝福されたんですよ。お餅を食べるのも『持ちのいいもの』『玉のつくもの』『丸いもの』を取り入れるところからきている。だから昔はお年玉というのは丸いお餅を配ったんです。
 そんなふうにしてお正月をすごして気分が晴れてくる・・・それで春が巡ってくるんです。(国語講義)


 折口学では文化形成の基本として「まろうど、まれびと」の信仰を問題にしている。「お客さん」ですよ。「まれにやってくる人」だからまろうど・・客を大事にするんです。それは神様がやってくることだったんです。

 周期的に神様がやってくるのがお正月ですよ。年の初めに神様にやってきてもらって力を授かるんです。・・・お盆と正月って行事の仕方は似ているんですよ。正月は神迎え、お盆は仏迎えだろ。暑さでバテた頃にきてもらってまた力を授かるんですよ。
 で、来てもらったら必ず帰ってもらうのも日本人なんですよ。・『ウルトラマン』『すもう』

(すもうが悪い精霊をこらしめる神事からきている話題のあと)「はねつき」の墨つけだって正月だからするんですよ。相手を醜くして「変な顔」といいたいんです。それは相手をいじめて喜んでいるんではなくて神様に押さえ付けられて悪い精霊が苦しんでいる姿をみて安心しようとしているんです。(児童言語)



 (古事記の話から)「神」から「命」(みこと)に変わっている、命とは「御言持ち(みこともち)なさること」で天津神の言葉を伝達・実行する立場です。これをもっているのが現実の世界にあっては「すめらみこと」つまり天皇だったわけです。天皇が天津神の言葉を受ける、それを実行するのが皇族だったんです。 正月に天皇と会うのは御言(みこと)、年玉をもらいにいくためなんです。新しい年になって新しい玉を得る・・・必ず上から下へと伝えられる・・・それをお年玉といったんです。

 自分の無意識を形成するもの、日本人の習俗については教育者をめざす諸君ならしっかりとわかっていなくてはいけませんよ。日本人は神と交流して生活をしているんです。これは現代においてもかわっていませんよ。「せめてお正月は」の意識を今でも持っているんです。正月からビフテキ食べよう、なんていうことは考えないんです。

 ・・・初もうでで神様に願いに行くのは本来とは逆なんですよ。日本の神は正月になれば守りに向こうから来てくれる・・・だから門松をたてて神様を待つんですよ。           (文学)

明けましておめでとうございます




本年もよろしくお願いいたします

ツイッター上原語録061 「外国語教育」②追記

・「三歳からの英語」なんていうのも、そりゃ子どもはやってのけるとは思いますよ。でも人格は歪みますよ。人間は機械ではないのです。語学、母国語の習得によって人間形成が起こるから問題なのです。(大学 国語教材研究)

・言葉が混血し始めている。私は何としても守りたいと思うのです。「0歳から始めよう、英語教育」を水際作戦で食い止めよう。
 外来語、外国語っていうのは、僕は完全な母国語が一応発達をとげたという段階・・・中学校ど段階でいいと思っていますね。つまり「知的理解の言語が外来語だ」と言う形で私はいいと思うのです。(平成四年合宿)

・僕がずっと「幼・小では外国語をやるな。音声体系が崩れるから。って言っているのはね、外国語っていうのは『顕在世界』だろ。音声体系は『潜在世界』だろ。幼い頃は日本人としての言語情緒を整えることが第一歩なのに、顕在の言語にしてしまうんですよ。言葉は覚えるもの、って・・・(平成四年五月例会)

・音の体系それ自体が違うんだってことを早くから教えてあげなくちゃいけないと思うんだ、本気で外国語教育をやるんだったら。音の取り方がちがうんだってね。それを、あいうえお五十音に置き換えてつづるんだからアホな話だよ。いつまでたったって耳が良くならないよ。    (平成四年合宿)

・「幼い頃から二か国語をやればOK」とは暴言ですよ。大人だったらいいかもしれないが、言語体系のできていない子どもには無理ですよ。(大学 国語教材研究)

・英語の発音が良くなると、日本語の発音は狂うでしょうね。(大学 国語教材研究)

・英語なんかの外国語が使える人は「便利だから」って使われる人間になるだけですよ。 (平成三年十二月例会)

☆「母国語」が心をつくる ということに関して上原先生が丁寧に書かれているのは「感情教育論」なのですが、入手困難です。近いうちに要点だけでもホームページに更新して紹介できればと考えています。

編者 M・M 追記

よく私が紹介する言葉のスナップを二つ

1、スーパーで幼児期の男の子が離れたところに向かって
グランマ!
するとものすごくカラフルな服を着たお婆さんが
「ハアイ!」
とにこやかに現れる。
どちらの言葉もネイティブっぽい発音。
もちろん二人は普通の日本人で、このあとは日本語でやりとりをしながら去っていく。

2、神田明神の神馬(ポニー)の小屋の前、お母さんが離れたところにいる息子(3歳くらい?)を呼び寄せる
「ホラ、お馬さんだよ!」
すると駆け寄ってきたその子、馬をみるなり
Horse!
これもまさにネイティブの発音


どちらの幼児も恐らく英語教材や英会話教室などで本格的な訓練を毎日のように受けているんでしょうね。
1の子なんかの家ではなるべく英語を使って生活させているのかもしれません。

どちらの大人も非常に満足気でした。心なしか周囲に対しても「どう、この子すごいでしょ!」と誇らしげのようにもみえて・・・

でも素朴に感じたのは、たとえばこの子たちがその後、昔話とか日常会話で「おばあちゃん」とか「お馬さん」という言葉を耳にした時に、言葉の響きからごく普通の日本人が感じるようなある種の温かみ・懐かしさ等々が沸き上がってくるのだろうか、ということでした。

なんだか日本人にも外国人にもなりきれない、ものすごく中途半端な人間になってしまって、それを本人がどこかの時点で自覚した時に、おとなたちが自分にしてきた教育を恨みはしないかと・・・どんなに良かれと思ってしたことであっても。

勤務していた学校の他のクラスで「将来国際人になった時に困らないように」ということでいかにも外国風の名前をつけられていた兄弟がいました。
その音に漢字をあてていたのですが・・・どちらも名前がもとで日々からわれたりしていましたね。「今」の生活がみじめな日々。
もちろんそういったからかいは良くないことですが、子ども達がからかいたくなる気持ちも分からないでもなかったというのが正直なところです。
今頃彼らは中年にさしかかるくらいの歳になっていると思いますが、その名前ゆえに国際的な日本人と海外の人たちに一目おかれているような人生を送れていればいいんですがね・・・・・





ツイッター上原語録060「外国語教育」① 追記

「感覚と結び付いた言語は母国語」で母国語の方がいいという考えを持っている。
 だいたい、大陸の言語っていうのはきめが荒いですよ。何もヨーロッパ語とは限りませんよ。中国も含めて荒い。荒くなって当たり前なんだね。大陸だから。大勢の民族が入り込んでいるから。そんなきめの細かいことを言っていたら意志の疎通ができないという事になる。そうすると大まかで了解し合う交歓が行われる。そうするとセンスの問題なんて言っておれなくなるのですよ。なるだけセンスはある程度に勘弁してもらっておいて、そして了解の生活を始めよう、と言う事になるわけです。(平成四年合宿)

・外国語は感情対応を教えないとマスターできない。 (大学 国語教材研究)       

・何でもいいから外来語を入れていきましょうなんていうのは、もう全く無謀に近い、阿呆な政策である。・・・(平成五年合宿)


編者 M・M 追記
駿煌会ブログ  http://syunkoukai.edoblog.net/ の 2018,12,29投稿記事  『日本と海外のズレ』『英語習得に先立つ感覚』『日常語で構えが変わる』 英国留学生の体験談  に合わせての上原語録です。
日常使う言語によって「構え」が影響を受ける・・・それはつまり「思考・感情・イメージ」が「用具言語」と不可分であり、それらすべてが「生き様」に反映しているという証でもあると思います。
それだけに「母国語教育」には重要な意味があるにも関わらず、「国語教育」が「外国語教育」と同様な感覚・・・・「コミュニケーションのための道具でしかない」というレベルで扱われていることに、上原先生は大変な危機感を抱いていました。

上原語録 外国語教育② は、明日更新する予定です。

プロフィール

HN:
jigentai
性別:
非公開
自己紹介:
成長しつつある子どもの言語生態を、正確に見届けることを、何よりの教育の基礎に据え、そこから出発すべきという姿勢で50年間続いている、玉川大学文学部教授 故上原輝男先生の門下生を中心とした研究会です。

過去に発行した雑誌すべてはこちらで閲覧できます。
広島大学 学術情報リポジトリ
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/journal/JidouGengoSeitaiKenkyu

今年、「児童の言語生態研究会 創立50周年記念公開授業及び研究発表会」が予定されています。
日 時 2018年(平成30年)10月27日(土)
場 所 聖徳学園小学校 東京都武蔵野市境南町2-11-8 JR中央線武蔵境駅 徒歩5分

申し込み方法をはじめ、詳しい要項は児言態ホームページに掲載

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