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上原輝男記念会 上原先生著書からの語録

「上原輝男記念会 上原先生語録集」では元玉川大学教授、上原輝男(文学博士 専攻 心意伝承学)の語録を紹介しています。 非常に多岐に渡っていますが、先生が生涯をかけて探求された、この風土、歴史、文化に根付いた<日本人>ということですべては繋がっています。 多様な価値観によってふだんの生活も国際社会での関りも難しさをます現代社会において、先生の語録は大きなヒントになると考えています。

明けましておめでとうございます




本年もよろしくお願いいたします
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ツイッター上原語録061 「外国語教育」②追記

・「三歳からの英語」なんていうのも、そりゃ子どもはやってのけるとは思いますよ。でも人格は歪みますよ。人間は機械ではないのです。語学、母国語の習得によって人間形成が起こるから問題なのです。(大学 国語教材研究)

・言葉が混血し始めている。私は何としても守りたいと思うのです。「0歳から始めよう、英語教育」を水際作戦で食い止めよう。
 外来語、外国語っていうのは、僕は完全な母国語が一応発達をとげたという段階・・・中学校ど段階でいいと思っていますね。つまり「知的理解の言語が外来語だ」と言う形で私はいいと思うのです。(平成四年合宿)

・僕がずっと「幼・小では外国語をやるな。音声体系が崩れるから。って言っているのはね、外国語っていうのは『顕在世界』だろ。音声体系は『潜在世界』だろ。幼い頃は日本人としての言語情緒を整えることが第一歩なのに、顕在の言語にしてしまうんですよ。言葉は覚えるもの、って・・・(平成四年五月例会)

・音の体系それ自体が違うんだってことを早くから教えてあげなくちゃいけないと思うんだ、本気で外国語教育をやるんだったら。音の取り方がちがうんだってね。それを、あいうえお五十音に置き換えてつづるんだからアホな話だよ。いつまでたったって耳が良くならないよ。    (平成四年合宿)

・「幼い頃から二か国語をやればOK」とは暴言ですよ。大人だったらいいかもしれないが、言語体系のできていない子どもには無理ですよ。(大学 国語教材研究)

・英語の発音が良くなると、日本語の発音は狂うでしょうね。(大学 国語教材研究)

・英語なんかの外国語が使える人は「便利だから」って使われる人間になるだけですよ。 (平成三年十二月例会)

☆「母国語」が心をつくる ということに関して上原先生が丁寧に書かれているのは「感情教育論」なのですが、入手困難です。近いうちに要点だけでもホームページに更新して紹介できればと考えています。

編者 M・M 追記

よく私が紹介する言葉のスナップを二つ

1、スーパーで幼児期の男の子が離れたところに向かって
グランマ!
するとものすごくカラフルな服を着たお婆さんが
「ハアイ!」
とにこやかに現れる。
どちらの言葉もネイティブっぽい発音。
もちろん二人は普通の日本人で、このあとは日本語でやりとりをしながら去っていく。

2、神田明神の神馬(ポニー)の小屋の前、お母さんが離れたところにいる息子(3歳くらい?)を呼び寄せる
「ホラ、お馬さんだよ!」
すると駆け寄ってきたその子、馬をみるなり
Horse!
これもまさにネイティブの発音


どちらの幼児も恐らく英語教材や英会話教室などで本格的な訓練を毎日のように受けているんでしょうね。
1の子なんかの家ではなるべく英語を使って生活させているのかもしれません。

どちらの大人も非常に満足気でした。心なしか周囲に対しても「どう、この子すごいでしょ!」と誇らしげのようにもみえて・・・

でも素朴に感じたのは、たとえばこの子たちがその後、昔話とか日常会話で「おばあちゃん」とか「お馬さん」という言葉を耳にした時に、言葉の響きからごく普通の日本人が感じるようなある種の温かみ・懐かしさ等々が沸き上がってくるのだろうか、ということでした。

なんだか日本人にも外国人にもなりきれない、ものすごく中途半端な人間になってしまって、それを本人がどこかの時点で自覚した時に、おとなたちが自分にしてきた教育を恨みはしないかと・・・どんなに良かれと思ってしたことであっても。

勤務していた学校の他のクラスで「将来国際人になった時に困らないように」ということでいかにも外国風の名前をつけられていた兄弟がいました。
その音に漢字をあてていたのですが・・・どちらも名前がもとで日々からわれたりしていましたね。「今」の生活がみじめな日々。
もちろんそういったからかいは良くないことですが、子ども達がからかいたくなる気持ちも分からないでもなかったというのが正直なところです。
今頃彼らは中年にさしかかるくらいの歳になっていると思いますが、その名前ゆえに国際的な日本人と海外の人たちに一目おかれているような人生を送れていればいいんですがね・・・・・





ツイッター上原語録060「外国語教育」① 追記

「感覚と結び付いた言語は母国語」で母国語の方がいいという考えを持っている。
 だいたい、大陸の言語っていうのはきめが荒いですよ。何もヨーロッパ語とは限りませんよ。中国も含めて荒い。荒くなって当たり前なんだね。大陸だから。大勢の民族が入り込んでいるから。そんなきめの細かいことを言っていたら意志の疎通ができないという事になる。そうすると大まかで了解し合う交歓が行われる。そうするとセンスの問題なんて言っておれなくなるのですよ。なるだけセンスはある程度に勘弁してもらっておいて、そして了解の生活を始めよう、と言う事になるわけです。(平成四年合宿)

・外国語は感情対応を教えないとマスターできない。 (大学 国語教材研究)       

・何でもいいから外来語を入れていきましょうなんていうのは、もう全く無謀に近い、阿呆な政策である。・・・(平成五年合宿)


編者 M・M 追記
駿煌会ブログ  http://syunkoukai.edoblog.net/ の 2018,12,29投稿記事  『日本と海外のズレ』『英語習得に先立つ感覚』『日常語で構えが変わる』 英国留学生の体験談  に合わせての上原語録です。
日常使う言語によって「構え」が影響を受ける・・・それはつまり「思考・感情・イメージ」が「用具言語」と不可分であり、それらすべてが「生き様」に反映しているという証でもあると思います。
それだけに「母国語教育」には重要な意味があるにも関わらず、「国語教育」が「外国語教育」と同様な感覚・・・・「コミュニケーションのための道具でしかない」というレベルで扱われていることに、上原先生は大変な危機感を抱いていました。

上原語録 外国語教育② は、明日更新する予定です。

ツイッター 上原語録059「漢字」 追加

・ どうやって意識の上に漢字を乗せていくかだよ。だから例えば聖徳でもやっているように「日常生活の中から漢字を拾う」とか「部分だけ見せて、字を当てさせる」とかね。虫食い読みだよ。類推能力を高めてやるんだよ。
 その子なりの漢字の獲得の仕方があるわけだ。その子のイメージとの接点だよ。それを見つけるのが我々の仕事だよ。         (平成三年新年会)

・ 漢字はもともと外国語であったものを日本語化したものなんですよ。元来日本人は文字を持たなかったんですから。
 漢字の成立の仕組みを考えられるようになった子の文字習得は早いんです。だから六書は諸君らもきちんと知っていなければなりませんよ。・・・漢字の分解を教師はきちんとできなければなりませんよ。・・・ 知らない人が多いから話しておくと、あの漢字の部首の名称は和語ですからね。中国に行っても、あんなのないですからね。あれは、日本人が考え出した漢字学習の知恵なんです。     (国語教材)

・ 原則的に、僕は漢字は視覚として指導する事が一番効果が上がるというふうに思いますよね。「へんとつくり」を覚えていくような事ではなくて、視覚を、どういう視覚に強い子であるか・・・(話が別の方向に流れる。)     (平成四年合宿)

・ (漢字学習のあれこれの話題から)
 全文ひらがなの文を書いて漢字に直させる。漢字に直したら振り仮名をつけさせる。
 勘で漢字を読む。そこから感覚で読める物を選ぶ。・・・漢字は子どもの感受性を発達させる為の物に使えばいいんだよ。    (昭和六十二年十月例会)





編者 M・M 追記
平成8年、教師だった頃に別に国語主任などでもなかったのですが、県内の国語教育担当者が集められての県主催での宿泊研修に参加ということがありました。
千葉大学の先生による「翻作」などを実例にしながらの読解指導の工夫に関する講演があったのですが、休憩時間にあちこちでやりとりされていたのは「そんなことよりもやっぱり漢字の読み書きよね」「うちのクラスも漢字、ひどいから。あんなの無理無理」等々の会話。
演習としてグループに分かれて凧に関する説明教材を用いて指導案作成があり「工夫をこらした授業を創作してみてください」という指導主事からの注文だったのですが、やはりあちこちから聞こえてくるのは「教育委員会に提出することになるんだから、やっぱりちゃんとしたのにしないと」という声ばかり。
最後に発表の時間があったのですが、実際に10くらいあるグループのほぼ全部がごくごく当たり前の読解指導の案。
うちのグループは、私を入れて4人でしたが、結構面白がってアイデアを出し合い作成。指導主事から絶賛され「是非、みなさんの学校で実践してその結果を報告しあってください」と言われました。(もっとも私はそれから間もなく体調の関係で退職してしまったので、それはかないませんでしたが)

こうした風潮が現在どうなっているかは分かりませんが、もしかしたらますますひどくなっているようにも感じます。

*最近の例として、駿煌会ブログ  http://syunkoukai.edoblog.net/
に、漢字の勉強をはじめとして「学校の全部が大嫌い」と言い出しているあるメンバーの小学2年生の息子のことから始まっての12月14日からのやりとりが載っています。
 
漢字などの用具言語指導に関しては「小学校 国語の授業はこうする 用具言語編」(学芸図書)にまとまった文章がありますが、既に絶版になっています。
また国語教材研究の講義録でも漢字指導についての回がありますが未整理です。
これらについても早くポイントをブログなどに掲載できればいいのですが・・・。

上原語録058 「古典入門」

子どもへの古典入門は、辞書的な意味を子どもに暗記させるのではない。文学から入るのではダメです。 生活から入るべきなんです。「いただきます」「ごちそうさま」が古典だろう。この「言葉」を教えるのではなく『心』を教えるんだよ。
 「さようなら」っていうのだって、もともとは接続詞だったんだから。「お別れしたくはないですが、さようならばお別れいたしましょう。」っていうことだったんですよ。        (日本教育史特講)


(歌を詠むことから)
 国文学的な歌詠みをさせるわけではないんだ。教室でやることは何か考える事が大切ですよ。国文学者を育てているのではないのですからね。
 百人一首を扱うにも、「どんな歌をおはこにしようとしているのか」が問題なんですから。授業を受ける者が「どう育っていくのか」考えるべきなんです。
 中・高生は、ある面では徹底的に鍛える必要はあるけれど、小学生には必要ない。 (平成六年新年会)

プロフィール

HN:
上原輝男記念会
性別:
非公開
自己紹介:
本会は、上原輝男の功績を顕彰し、民俗学・国語教育学の発展に寄与する研究と交流を目的として設立されました。

ここでは上原先生が探求された事柄を、広く一般の方々にも知って頂くために、先生のあらゆる分野の語録を紹介しています。

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