日本人の心をほどく かぶき十話
第七話 「妹背山女庭訓」 雛祭りの原形 より
P220
雛祭りは「神婚説話」の投影である
私に言わすれば、日本人は結婚というものをどんなふうに考えていたか、その基本的な考え方が「神 婚説話」だというべきだと思う。われわれは何でもかんでも辞書的に知りたいとしすぎて来てしまっ た。少なくとも、伝統的な日本人の結婚観は、神様が寄りついて婚儀が成立するんだと、どこかで思 っていたのだ。またこのことは、「神婚説話」という、日本人の全く底辺というか深層に流れている 考え方は、今日なおかつ死んではいないのである。なぜか。それは雛祭りをやっている限りそう言わ ねばならない。雛祭りは、あれは神婿、神様のご婚儀の崩れた姿であり、見真似であったと、こう考 えられるからである。
雛祭りで最も大事なのは女雛、男雛である。女雛、男雄のお祭りをするのだということである。子 供が誕生して初節旬からこの結婚式の真似事をやらせているわけだから、これは大変なものである。 特にそれを男の節句としないで女の節句としてやってきたあたりが、日本人の深層心理の中に秘めら れた何かがあると私には思える。雛祭りは女雛男雛を飾るところを重要視したい。あとの五人囃子だ とか三人官女だとかいうのは、付け足しで結構だということだが、女雛男雛という呼び方も忘れては ならない。つまり、雌雄の合体を言っているからである。
結局、この「山の段」(川場)は可憐にして壮絶としか言いようのない結末に終わる。文字通り雛 飾りした嫁入り道具は雛流しすることによって、嫁入りは同時に葬礼となるのである。
蛇足だが、私は、また今月も二つの結婚式に行かなくてはならない。結婚式のたび毎に言うのでも ないが、祝辞がわりによく口にすることは、あなたたちのことを世間では新郎新婦と言うが、そして きょうは結婚でおめでたいと、みんながそのために祝いに来ているんだけれども、一体何を祝ってい いのかわからなくなっているのが現代人だから、その点をしっかり考えろと。あなたたちはきょうか ら夫婦(みょうと)になるのだ。夫婦(みょうと)というのは、女(め)と男(お)である。それが日本語の夫婦(みょうと)だと。世の中にはたくさん 女と男がいるんだけれども、そうではなくて、こちらの男性はあなたを選んで、あなたを女性だと思い、こちらの女性はあなたを見てこの人が私にとっての男性だと思う。互いにその男、その女の組み 合わせによってのみ、雌雄の合体を確認するのである。それを日本人は夫婦と言ってきた。この夫婦 という言い方はすばらしいではないか、と告げることをする。
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雛人形のもう一つのタイプ
「流し雛」については、あらたに統合された「ワニワニ学級へようこそ」で簡単にふれました。
上原先生の 犠牲論 と少なからず関りがあると思っています。
ワニワニ学級のアドレスがかわります
http://syunkoukai.komusou.jp/
(旧ワニワニ学級は プロバイダーの都合で令和7年 3月いっぱいで閲覧できなくなります)
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