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上原輝男記念会 上原先生著書からの語録

「上原輝男記念会 上原先生語録集」では元玉川大学教授、上原輝男(文学博士 専攻 心意伝承学)の語録を紹介しています。 非常に多岐に渡っていますが、先生が生涯をかけて探求された、この風土、歴史、文化に根付いた<日本人>ということですべては繋がっています。 多様な価値観によってふだんの生活も国際社会での関りも難しさをます現代社会において、先生の語録は大きなヒントになると考えています。

ツイッター上原語録060「外国語教育」① 追記

「感覚と結び付いた言語は母国語」で母国語の方がいいという考えを持っている。
 だいたい、大陸の言語っていうのはきめが荒いですよ。何もヨーロッパ語とは限りませんよ。中国も含めて荒い。荒くなって当たり前なんだね。大陸だから。大勢の民族が入り込んでいるから。そんなきめの細かいことを言っていたら意志の疎通ができないという事になる。そうすると大まかで了解し合う交歓が行われる。そうするとセンスの問題なんて言っておれなくなるのですよ。なるだけセンスはある程度に勘弁してもらっておいて、そして了解の生活を始めよう、と言う事になるわけです。(平成四年合宿)

・外国語は感情対応を教えないとマスターできない。 (大学 国語教材研究)       

・何でもいいから外来語を入れていきましょうなんていうのは、もう全く無謀に近い、阿呆な政策である。・・・(平成五年合宿)


編者 M・M 追記
駿煌会ブログ  http://syunkoukai.edoblog.net/ の 2018,12,29投稿記事  『日本と海外のズレ』『英語習得に先立つ感覚』『日常語で構えが変わる』 英国留学生の体験談  に合わせての上原語録です。
日常使う言語によって「構え」が影響を受ける・・・それはつまり「思考・感情・イメージ」が「用具言語」と不可分であり、それらすべてが「生き様」に反映しているという証でもあると思います。
それだけに「母国語教育」には重要な意味があるにも関わらず、「国語教育」が「外国語教育」と同様な感覚・・・・「コミュニケーションのための道具でしかない」というレベルで扱われていることに、上原先生は大変な危機感を抱いていました。

上原語録 外国語教育② は、明日更新する予定です。
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ツイッター 上原語録059「漢字」 追加

・ どうやって意識の上に漢字を乗せていくかだよ。だから例えば聖徳でもやっているように「日常生活の中から漢字を拾う」とか「部分だけ見せて、字を当てさせる」とかね。虫食い読みだよ。類推能力を高めてやるんだよ。
 その子なりの漢字の獲得の仕方があるわけだ。その子のイメージとの接点だよ。それを見つけるのが我々の仕事だよ。         (平成三年新年会)

・ 漢字はもともと外国語であったものを日本語化したものなんですよ。元来日本人は文字を持たなかったんですから。
 漢字の成立の仕組みを考えられるようになった子の文字習得は早いんです。だから六書は諸君らもきちんと知っていなければなりませんよ。・・・漢字の分解を教師はきちんとできなければなりませんよ。・・・ 知らない人が多いから話しておくと、あの漢字の部首の名称は和語ですからね。中国に行っても、あんなのないですからね。あれは、日本人が考え出した漢字学習の知恵なんです。     (国語教材)

・ 原則的に、僕は漢字は視覚として指導する事が一番効果が上がるというふうに思いますよね。「へんとつくり」を覚えていくような事ではなくて、視覚を、どういう視覚に強い子であるか・・・(話が別の方向に流れる。)     (平成四年合宿)

・ (漢字学習のあれこれの話題から)
 全文ひらがなの文を書いて漢字に直させる。漢字に直したら振り仮名をつけさせる。
 勘で漢字を読む。そこから感覚で読める物を選ぶ。・・・漢字は子どもの感受性を発達させる為の物に使えばいいんだよ。    (昭和六十二年十月例会)





編者 M・M 追記
平成8年、教師だった頃に別に国語主任などでもなかったのですが、県内の国語教育担当者が集められての県主催での宿泊研修に参加ということがありました。
千葉大学の先生による「翻作」などを実例にしながらの読解指導の工夫に関する講演があったのですが、休憩時間にあちこちでやりとりされていたのは「そんなことよりもやっぱり漢字の読み書きよね」「うちのクラスも漢字、ひどいから。あんなの無理無理」等々の会話。
演習としてグループに分かれて凧に関する説明教材を用いて指導案作成があり「工夫をこらした授業を創作してみてください」という指導主事からの注文だったのですが、やはりあちこちから聞こえてくるのは「教育委員会に提出することになるんだから、やっぱりちゃんとしたのにしないと」という声ばかり。
最後に発表の時間があったのですが、実際に10くらいあるグループのほぼ全部がごくごく当たり前の読解指導の案。
うちのグループは、私を入れて4人でしたが、結構面白がってアイデアを出し合い作成。指導主事から絶賛され「是非、みなさんの学校で実践してその結果を報告しあってください」と言われました。(もっとも私はそれから間もなく体調の関係で退職してしまったので、それはかないませんでしたが)

こうした風潮が現在どうなっているかは分かりませんが、もしかしたらますますひどくなっているようにも感じます。

*最近の例として、駿煌会ブログ  http://syunkoukai.edoblog.net/
に、漢字の勉強をはじめとして「学校の全部が大嫌い」と言い出しているあるメンバーの小学2年生の息子のことから始まっての12月14日からのやりとりが載っています。
 
漢字などの用具言語指導に関しては「小学校 国語の授業はこうする 用具言語編」(学芸図書)にまとまった文章がありますが、既に絶版になっています。
また国語教材研究の講義録でも漢字指導についての回がありますが未整理です。
これらについても早くポイントをブログなどに掲載できればいいのですが・・・。

上原語録058 「古典入門」

子どもへの古典入門は、辞書的な意味を子どもに暗記させるのではない。文学から入るのではダメです。 生活から入るべきなんです。「いただきます」「ごちそうさま」が古典だろう。この「言葉」を教えるのではなく『心』を教えるんだよ。
 「さようなら」っていうのだって、もともとは接続詞だったんだから。「お別れしたくはないですが、さようならばお別れいたしましょう。」っていうことだったんですよ。        (日本教育史特講)


(歌を詠むことから)
 国文学的な歌詠みをさせるわけではないんだ。教室でやることは何か考える事が大切ですよ。国文学者を育てているのではないのですからね。
 百人一首を扱うにも、「どんな歌をおはこにしようとしているのか」が問題なんですから。授業を受ける者が「どう育っていくのか」考えるべきなんです。
 中・高生は、ある面では徹底的に鍛える必要はあるけれど、小学生には必要ない。 (平成六年新年会)

上原語録 057「構え」②補足 「研究授業のテーマ」との関連で

今回聖徳学園小学校で行った研究授業のテーマ『人間の生命活動と宇宙・自然の振幅をめぐって -生命活動としての感情と思考の相互関係を考える-』の後半部分との関連です。

この「感情」という部分には内なる無意識の世界から湧き上がってくるイマジネーションなども含まれているとお考え下さい。


それが授業の形になった時には、今日は「思考」、今日は「感情」、今日は「構え」となっても、常にその関連具合が問題になる。(「用具言語」に関しては今回は外してある)

授業者としては「思考・感情・構え」というのは、絶えず隣接しあうもの、三つの要因から構成されているって考えていかなければならないだろうって、私は思うね。

バラバラである訳はないんでね。人間の頭の中っていうのは必ずこれはかみ合わさってなければならない訳でしょ。 S,57,8,5

(注)こうした「構え」は日本人の考えてきた「型」(様式・儀礼)などとも深く関わってきます。「型が整う」ということは、自分の意識世界の中にある種の「器」が新たに出来上がるようなこととつながります。
器が出来上がることで、さらに広大な無意識の世界から流れ込んでくるものがある・・・それを「心意伝承」というように言えるのかもしれません。

今回、児言態の教育実践は「心意伝承」ということを前提として踏まえていることが他との大きな違いという指摘もなされました。

心意伝承という用語と共に、児言態では「先験的イメージ」と呼んでいるものがあります。これについてはまたとりあげます。

上原輝男先生とウルトラマン ツイッター補足①

ウルトラマンの作者として知られる金城哲夫氏は高校時代・大学時代の上原先生の教え子です。特撮の神様と言われていた「円谷英二氏」に彼を紹介したのも上原先生でした。
(上原先生と円谷英二監督は知り合いというだけではなく、映像の仕事でもつながりがあったようです)

ウルトラマンの発想の原点は金城氏が高校の授業の中で上原先生から「まれびと論」を「沖縄の神の信仰」と関連付けて説かれたことにあると言われています。

「まれびと論」とは上原先生が従事していた「折口信夫先生」が提唱されたものですが、ごく簡単にいうと、海の向こうの神の国から神が「まれびと」(来訪神)としてやってきて、その土地に祝福をもたらせて再び帰っていく・・・・というものです。
この「帰っていく」というのが大事なポイントです。

「お正月」「お盆」「なまはげ」などが代表的なことですが、これが日本人の意識のベースに今でも残っている名残がキリスト生誕の部分よりも「サンタクロース」がクローズアップされている「クリスマス」の受け入れ方にも色濃く出ているといえるでしょう。

ウルトラマンの主題歌「光の国から僕らのために 来たぞ 我らのウルトラマン」に「まれびと信仰」とのかかわりが端的にあらわれています。だから3分間で去っていかなければならないという設定にもなっています。(「水戸黄門」などもこの型ですよね)

(「まれびと」に関しては稿を改めて書きたいと思います。)

金城哲夫氏の生涯(その中での上原先生との関り)については
「ウルトラマン昇天 M78星雲は沖縄の彼方」(山田輝子著 朝日新聞社 1992年)
・・・後に朝日文庫として「ウルトラマンを創った男」として再販。

また子ども番組の脚本家の大御所である上原正三氏が書かれた
「ウルトラマン島唄」(上原正三)筑摩書房 (1999/10)にも先生との関りが詳しくあります。

共に現在は品切れ・絶版のようなのが残念なのですが・・・・


ネットで「金城哲夫」と検索すると、概略や、ウルトラマンやウルトラセブンの中に「金城さんや沖縄方言」「民俗学」、さらには「沖縄問題」がどのように反映していたか、などについても解説されているサイトが結構あります。


ニコニコ大百科 http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%87%91%E5%9F%8E%E5%93%B2%E5%A4%AB
ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%9F%8E%E5%93%B2%E5%A4%AB


このブログでも今後また何度かに分けて触れていきたいと思います。

☆編集者 余談
平成4年、私のクラスで児言態の研究授業が行わることになった時、事前に子ども達に上原先生の紹介をしたのですが、ウルトラマンや金城哲夫さんのことも話しました。
ウルトラマンの生みの親である金城哲夫さんの恩師ということから子ども達は
「それなら上原先生っていうのは ウルトラの父のお父さんみだいだから ウルトラのおじいちゃん なんだね!」と大騒ぎ。

先生がやってくる日を「ウルトラのおじいちゃんが僕らの教室に来るんだ」と心待ちにしていました。まさに「まれびと」(来訪神)でした。

プロフィール

HN:
上原輝男記念会
性別:
非公開
自己紹介:
本会は、上原輝男の功績を顕彰し、民俗学・国語教育学の発展に寄与する研究と交流を目的として設立されました。

ここでは上原先生が探求された事柄を、広く一般の方々にも知って頂くために、先生のあらゆる分野の語録を紹介しています。

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