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日本人の心をほどく かぶき十話 より
平成7年5月13月 オリジン社
私は歌舞伎の専門家だというふうに言われるのは好きではない。また歌舞伎ではなくても、おまえは何かの専門家だろうというふうに言われること自体、本当に好きではない。なぜかというと、それは自分にとって最も関心のあることは、日本人とは一体何者なんだろうということである。
(P172)
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教育学・民俗学・古典芸能論・儀礼文化・・・・上原先生はいくつもの顔をもっています。
しかし先生の中ではそれらすべてが<日本人の解明>として一つにつながっている・・・それがこの文に端的に表れていると思います。
例えば教育関係者であるから、先生の教育に関しての著書だけを選んで読む・・・それはそれで大きな意義のあることなのですが、教育に関しての記述の背景に、これらの探求の成果があるということをふまえると、さらにその重要性が感じられてきます。
注)ここでいう<日本人>とは、この風土の中で古代からの積み重ねによって培われてきた歴史や文化の担い手という意味です。
先生は教育を農業によく例えていました。作物によって最も適する育て方は違うし、同じ作物でも気候や土地の受験によって育て方には微調整が必要になってくる。
だから誰かがある子ども達に行った教育法が優れた結果を出したからといって、それが他の先生の実践、他の子ども達への働きかけに必ずしも有効であるとは限らない。
ましてや、他国での教育学や心理学をもとにした成果であっても、日本人にもあてはまるとは限らない。むしろ害になることさえあるわけです。(これは逆そうですね。日本人に向いている教育法がよその国でも有効であるとは限りません)
そう考えていくと、<日本人の特性>を生涯追い続けたことが「教育の根本」を考える事と表裏一体であるというのは、先生にとっては自明のこととなってくるわけです。
参考
先生はこんなことも口にしていました
「自分のことを教育学者だとか、小学校の国語教育の専門家だとか言った覚えはひとつもない」
(執筆担当 HN 虚空)
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