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上原輝男記念会 上原先生著書からの語録

「上原輝男記念会 上原先生語録集」では元玉川大学教授、上原輝男(文学博士 専攻 心意伝承学)の語録を紹介しています。 非常に多岐に渡っていますが、先生が生涯をかけて探求された、この風土、歴史、文化に根付いた<日本人>ということですべては繋がっています。 多様な価値観によってふだんの生活も国際社会での関りも難しさをます現代社会において、先生の語録は大きなヒントになると考えています。

「遊び」 ツイッター025補足

*子ども達を迷わせてはいけない。本来の姿にもどしてやる。そうして自分のイメージを確認すれば十分一人で遊べる。・・・自分の世界を作り囲いに入れるから。     (平成六年新年会)

*「能力で何かしよう。」ではなく『持っている能力で遊ぼう。』とさせる。
 好き勝手な事をしないと本当の能力は出てこない。        (平成二年十月例会)

編者コメント
 ここでいう「遊び」はもちろん現代風のテレビゲーム等々での遊びではありません。

ツイッターに載せたように 
~『遊び』は本来、神とたわむれる事。神の世界にどっぷりとつからせる。    (平成元年六月例会)~
というように目に見えない世界と交信(交感)しあえる時空に浸るという感覚です。

だからといって、宗教的に特殊なことをいっているわけではありません。
「となりのトトロ」のサツキやメイの遊び方、なんていうのはきっとそんな遊び方です。
あんな風に夢中になって遊んでいると、自然に自分の無意識の深いところが意識化されていくのでしょう。

また、本当の意味での「好き勝手」を幼い頃からしていると「単なる自己中な我が侭人間」にはならないというのが、上原先生(児言態)の立場です。・・・「心意伝承」という前提にたっていることと関連があります。

自分を見失いかけている大人がそれをしようとすると、いま流行りの「瞑想」とか「マインドフルネス」ということになると思います。
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過去の雑誌閲覧ができます

これまで発行した雑誌すべてが
広島大学 学術情報リポジトリに登録されました。
是非ご覧ください。

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/journal/JidouGengoSeitaiKenkyu

(一部プライバシー保護の処理がされています)

「あいさつ」 ツイッター018補足

*「教育」というよりは「日本人の根源的な意識」に関する言葉です。

 「あいさつ」は対面の儀式だったんですよ。だからそこに感情を入れないのが、かつての日本人だったのです。(映画「おはん」の例)・・・感情はよそに置いておくんです。
 
 対面式をせねば収まらなかったんです。そして、あいさつが済めば場が変わり、元の生活に戻るんです。・・・
 「あいさつは抜きにして」というのは特別な意識を表したんですよ。    
(昭和六十二年十月例会)

「あいづち」(ツイッター 上原語録 017補足)


*子どもの会話の流れを捉える研究として、あいづちの獲得過程の研究が必要。             あいづちで性格・発達がわかる。  (児童言語)

*子どものイメージにあいづちを打ってやれば、子どもはのる。    (平成七年五月例会)

*あいづちがへたな人間とは話しづらい。楽しくするために無理にでも『話しに花を咲かせる』                       (国語教材)

*教師ほど大事なあいづちって打てるようにしなきゃならない。先生の方が本当に適切なあいづちを打ってやる。そうすると子どもがパッとこうなってくる。そうしたら子どもがよくみえるようになってくるね。

やめなさい、なんて言うよりも上手なあいづちを打つべきだと思うよね。『相手に先手を取らせる。こちらが先手を取らない。』って剣道の極意といっしょだよ。先手必勝なんてガキのけんかだよ。相手に先手を取らせてやる。譲る。つまり、相手が先手を打つだろうという情勢を作ってやる。だから先手はどこで打ってくるかわかるんだよ。だから上手なあいづちが必要なんだ。            (平成四年女川合宿)

*日本語はもちつき。小学生が喜んでいる時は、波に乗っている。(特に三年生以上は、はずみを覚えていく段階。ゴムボール的な見方を覚える。弾みやすい子か脈搏数に注意するとよい。)    (国語教材)

「国語の授業はこうする 用具言語編」  (ツイッター上原語録014補足)

第一部 国語学習の目的と態度 
五 言語作業補説
7、他教科教科書を読むことも国語科のうち
より
(P.43)
 私は国語科に『構え』の指導を導入すべきことを早くから提唱して来た(前巻「小学校の国語の授業はこうする―感情・思考・構え編」参照)。ここでの論旨の記号体系への指針と導入に則していうなら、『文体』の認識である。
 文体とは何かを教えよというのではない。われわれは、物の見方が改まる時、ことばが変わる習性を持っている。これは、成人したから気がつくのではない。物の言い方や修辞は補助手段ではない。物の見方(観点)、対処の仕方(対応姿勢)、世界定め(全体把握のありよう)によって、ことばは即応する。

*以下M・M 記述
「構え」というのは上原先生や児言態の教育観を考える上で非常に大きな意味を持つキーワードであるのですが、なかなか簡潔に説明することは難しいです。

基本的にはこの抜粋部分の最後 
『物の見方(観点)、対処の仕方(対応姿勢)、世界定め(全体把握のありよう)』
と深い部分で直結することからくる「生きる姿勢」というようなことなのですが、この中にある「世界定め」というのも(元は江戸時代の歌舞伎の世界で使われていた発想なんだそうですが)簡単には説明できない・・・でも重要なキーワードです。

☆世界定めに関連する児言態の研究報告が特集されているのは、
 雑誌『児童の言語生態研究』15号 (1996年)
  特集「子どもにとっての時間と空間」
です。

プロフィール

HN:
上原輝男記念会
性別:
非公開
自己紹介:
本会は、上原輝男の功績を顕彰し、民俗学・国語教育学の発展に寄与する研究と交流を目的として設立されました。

ここでは上原先生が探求された事柄を、広く一般の方々にも知って頂くために、先生のあらゆる分野の語録を紹介しています。

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