今回聖徳学園小学校で行った研究授業のテーマ『人間の生命活動と宇宙・自然の振幅をめぐって -生命活動としての感情と思考の相互関係を考える-』の後半部分との関連です。
この「感情」という部分には内なる無意識の世界から湧き上がってくるイマジネーションなども含まれているとお考え下さい。
それが授業の形になった時には、今日は「思考」、今日は「感情」、今日は「構え」となっても、常にその関連具合が問題になる。(「用具言語」に関しては今回は外してある)
授業者としては「思考・感情・構え」というのは、絶えず隣接しあうもの、三つの要因から構成されているって考えていかなければならないだろうって、私は思うね。
バラバラである訳はないんでね。人間の頭の中っていうのは必ずこれはかみ合わさってなければならない訳でしょ。 S,57,8,5
(注)こうした「構え」は日本人の考えてきた「型」(様式・儀礼)などとも深く関わってきます。「型が整う」ということは、自分の意識世界の中にある種の「器」が新たに出来上がるようなこととつながります。
器が出来上がることで、さらに広大な無意識の世界から流れ込んでくるものがある・・・それを「心意伝承」というように言えるのかもしれません。
今回、
児言態の教育実践は「心意伝承」ということを前提として踏まえていることが他との大きな違いという指摘もなされました。
心意伝承という用語と共に、児言態では「先験的イメージ」と呼んでいるものがあります。これについてはまたとりあげます。
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