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上原輝男記念会 上原先生著書からの語録

「上原輝男記念会 上原先生語録集」では元玉川大学教授、上原輝男(文学博士 専攻 心意伝承学)の語録を紹介しています。 非常に多岐に渡っていますが、先生が生涯をかけて探求された、この風土、歴史、文化に根付いた<日本人>ということですべては繋がっています。 多様な価値観によってふだんの生活も国際社会での関りも難しさをます現代社会において、先生の語録は大きなヒントになると考えています。

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ブログ名を「上原輝男記念会 著書からの語録」と改題しました

上原輝男先生の著書にある言葉に、記念会会員による解題・雑感などを含めた内容を紹介していきます。

なお、大学の講義や月例会等々での先生の発言に解題・雑感などを加えたものは「たぬきの館」で紹介しています。https://ameblo.jp/tanukidayo/
*ただしこちらはハンドルネーム たぬき先生(虚空) による個人ブログです。
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ツイッター上原語録067「剣道」詳細

・教師は子どもたちにとって鏡でなくてはならない、って言ったんだからね。鏡ってのは、大人にすべきことだって言うのはうそだよ。子どもの姿がそのままこっちに映っていまうっていう鏡であればいいんだよ。それには、こちらが何か色が付いたり、あるいは、こちらに一つの形があったら映らない。子どもの前に出れば、子どもが全部映ってくるっていうのが、手に取るようにわかるのが教師だよ。それをみんな修練しなくちゃだめだよ。


 なんでそんなことを言うかっていうとね、ぼくはある程度の自信が最近できているんだけども、それは僕自身が剣道を分かっているから。こちらが鏡になりさえすればいいのよね、剣道は。相手が来やすいようにこちらがしてやるの。そうすると相手は必ず来る。こちらが一つの構えを持つとだめなの。その構えにむこうが合わせようとするから。それは映っている事にならない。

こちらが完全に構えを捨ててかかる。そうすると、むこうはしたい放題し始める。そうすると、したい放題が全部こちらに映ってくる。そうすると、アッ、今度は小手から面にくるな、とかということが全部見えてくる。そうすりゃ、なんていうことはない。同じことなんじゃないですかね。

 親以上に担任の前に出たら、自分の姿を全部映して見せる。そういう先生になるべきだ。自由教育っていう言葉があるけれども、その本来の意味はそういう事だったんだよね。教育は自由じゃなくちゃいけない。自由にしたい放題させてやる、ってことが目的じゃないんだよ。それには先生が子ども達の鏡になってやらなければ。言われていた様な、お手本を示してやることではない。          (平成三年合宿)


・剣道はハッとしなければ分からないんだ。数学的な処理ではわからんのだよ。  (平成二年六月例会)

(編者 M・M 私見)
「生態研究」としての授業の根幹となるような内容です。「誘導しない」という基本姿勢もここからきているとも言えます。
こうした関係の中で 教師と子ども 子どもと子ども 同士の言葉などが共鳴しあって、最終的には大いなる自然や宇宙との共鳴になっていくのだと思います。(心意伝承を媒介として)

子どもたちを思い通りに誘導しようとして、「授業が上手くいった」と教師が満足しても、それは結局は教師に子ども達が構えを合わせてくれているだけ、というのに気が付かないとならないのでしょう。でも、子どもが自分の思い通りに自由自在に動くというのが「自分の指導力の証」と自負する風潮はますます強まっているようです。

ツイッター上原語録066 「言葉」①詳細

・言葉は『履歴書』です。『人生の糸紡ぎ』そのものです。
 だから「どんな言葉が残って、どんな言葉が入っているか」という、言葉を忘れる事についての研究も大切なんです。今は覚えさせる事ばっかりだから。
 児言態ではこのように言葉を集めているんですが、言葉の活字スナップは、本当はダメなんです。言葉は音声ですから、音声分析をやらなければならないんですよ、本来は。感情を声にどう託しているか、っていう。
 言葉は『肉体の性能の一つ』でもあるんですから。
だから「自分の音声が相手にどう伝わっているか」ということに、皆さんはもっと注意を払わなくてはいけませんよ。  (児童言語の研究 講義より)

・経験あると思うのは電話の声ですよ。電話の声を聞いただけで相手の様子が分かるでしょう。声に生態が出ているんです。
 だから言葉は恐ろしいんですよ。すべてを暴露してしまうんですからね。
 それで子どもの発達もハッキリ示すんです。   (国語教材研究 講義)

・言葉というのは、子どもそれぞれに発生するんですよ。それを見届けるのが教育者ですよ。
 子どもにからかわれた時でも、それにどう対応するかが教育者としての命ですよ。(児童言語の研究 講義より)

(編者 M・M記)
最近特に強調されている「正しく言葉を伝達する力」というのは言葉を単なるツールとしかとらえていません。確かにそれはそれで大切な能力ではありますが、それ以上に特に母国語である言葉は、人間そのものとしての成長と不可分です。
だから母国語としての国語が最優先である初等教育の時期での指導のありかたについて上原先生は早くから提言をされていますが、現代はますます「外国語教育」の発想に汚染されているどころか、外国語教育に侵食されてきています。

母国語としての国語の重要性などもふまえて「言葉」②以降を近々更新する予定です。

ツイッター上原語録065 「言葉の意味」詳細 国語教材研究 講義より

・『意味を感じた時』に言葉になる。辞書にあるのは意味とは言えない。言葉を言い換えているだけ。
 意味が教科書や辞書に書いてあると思うな。

・言葉の意味として子ども達に例示して示そうとしているものは『一人一人のその本体・事物に対する迫り方・感じとり方』
 例 春がきたら『はる』と思う習俗(晴る・張る)  
   逆に「○○」という音を聞いて「○○」の心が起こるようになる感覚。

・「気分」と「音」のつながりが『習俗』→これが意味の感じ方
 (参 時枝流・・・言語主体の把握の仕方)

・「意味は?」と聞かずに「どう感じたか?」と聞けばよい。

・意味は『子どもの体の中』に求める。

ツイッター上原語録065 「色」追記含む

・「色気」の「色」が日本人の『いろ』に近い。我々の『心の動き』が『色』である。

・「いろいろ」は色の要素の交わりではなく『心があちこちに動くこと』である。色彩のバラバラによって心が動くから「いろいろ」と言った。

・剣道では「相手の色を打て」という。これは『心を打て』ということ。 *剣道に限らず『道』では色(感情)を相手に見せぬ。

  
 
(参考)江戸時代の文化に関して田中優子さんの「江戸の恋」(集英社新書)、またそれをもとにしたNHK知るを楽しむテキスト 歴史に好奇心(2008年)「江戸の色恋ものがたり」に江戸人の「好色」という点から色に関する意識が述べられています。現代の感覚とはかなり違ったもので、上原先生のこれらの言葉をあわせて考えてみるとさらに興味がかきたてられます。(編者M・M記)

プロフィール

HN:
上原輝男記念会
性別:
非公開
自己紹介:
本会は、上原輝男の功績を顕彰し、民俗学・国語教育学の発展に寄与する研究と交流を目的として設立されました。

ここでは上原先生が探求された事柄を、広く一般の方々にも知って頂くために、先生のあらゆる分野の語録を紹介しています。

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