神様が零落する、おちぶれてしまう、ということにひかれるんですよ。 ・・・落ちる事を「神と人」との関係でいったのが『落人』です。これが「人と人」との関係になると『心中』なんです。・・・
折口説で言えば『貴種流離』譚が日本の物語で・・・おちた者は『身分の高い者』だから落ちるという事なんです。
ドングリの背比べのような、今日の悪いデモクラシー観では落ちようがないから、日本人の感情が廃れていってしまうんだよ。 (昭和59年 日本教育史特講)
注)「貴種流離」とは上原先生のお師匠様である「折口信夫先生」の説かれた説です。ごく簡単にいえば特別な使命を帯びた魂・神格に近い魂をおびた者は、この世で様々な苦労・・・魂のレベルが高いほど大変な苦難にみまわれて、ついには高き境地に達する、というようなパターンのことです。日本の昔話や民話、神話、あるいは芸能などにはこの型の物語がたくさんあります。
もっと広く考えれば、スポ根ものなどで一見目立たなかったヒロインが指導者に才能を見出された結果、周囲に妬まれ、いじめられ、その上辛い特訓もさせられて苦悩する・・・なんていうのもこれにあたると思われます。
これは上原先生の「犠牲論」とも関わる内容で、大胆に言えば子ども番組・・・初期の頃の「仮面ライダー」や「初代ウルトラマン」もこうした発想がベースにあると思います。