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上原輝男記念会 上原先生著書からの語録

「上原輝男記念会 上原先生語録集」では元玉川大学教授、上原輝男(文学博士 専攻 心意伝承学)の語録を紹介しています。 非常に多岐に渡っていますが、先生が生涯をかけて探求された、この風土、歴史、文化に根付いた<日本人>ということですべては繋がっています。 多様な価値観によってふだんの生活も国際社会での関りも難しさをます現代社会において、先生の語録は大きなヒントになると考えています。

「馬」③ツイッター035補足

『馬』は上原先生の勝手な研究だと思わないでください。イメージ研究を象徴的に捉えるならば『馬』だって言ってもいいだろうと思う。


以下は平成7年の岩手合宿で出会った馬を飼っているおじいさん。先生は我々より一足先に会ってきていていました。

・・・七十七歳のおじいさんがいるっていうことがわかった。それで、そこへ行きましょうということで行った。・・・小学校1~2年生の時には馬を扱う道具、専門家が知っている様な道具は全部知っておりましたって、そして、十七歳の時に百キロの道を歩きましたって、そういうおじいちゃんに会ったの今日。

それで、今でも馬飼っているんだよ、三頭。で、馬のことをいろいろ教えてもらった。

まあ、話が長くなるから、一番重大な話をしますが、おじいさんの話と私の話がピシャッと合ったことがある。おじいさんの説でね、もう南部馬っていうのはいないんだって。南部駒っていうのは。ただし、南部馬は、北海道のどさんこという馬が南部馬だっていうの。

それは、おじいさんの説なんだけど、誰が何と言おうと私はそういう説を持っているって。北前船をご存じでしょうって、北前船が、南部の駒を積んで北海道へ行ったっていうんだよ。そして、帰りに北海道の物を積んで帰ってきたんだつて。

帰りには南部の駒はいらないから捨ててきたんだって。こんぶだとか、なんだとかのかわりに捨ててきたんだっで。そして、かわいそうに馬は置き去りになったんだって。そして、馬は冬を越したんだって。で、えさも満足に与えられなくて、どさんこは南部馬よりも小さいんだって。えさがないから。

だけれども、あれはぜったいに南部駒の子孫なんだと、おじいさんは言うわけよ。で、北海道の馬の専門家たちが、それを実証するものがないって言っだって言うんだよ。北海道のどさんこは南部駒であるということが実証できないって。


でも、私はわかるんだって。見たらわかるんだって。そういつ顔だしね。それでね、歩きっぷりがそうなんだって。歩きっぷりが違うって。どう歩くと思う?まだ専門家達気がついていないそうだ。右左ね、前足を出したら後ろ足は、左がついてくる。左が出た時には右足が出てくるんだって。サラブレットとかアラブの馬は。西洋系の馬は。

ところが、日本の馬はそうじゃないんだって。いっしょに出ちゃうんだって。じゃあ、おじさん、これはどうだって。日本人は、今でこそこうやって歩きますが、あれは、明治以後の軍隊が入ってからああいうふうに日本人は訓練されて、こうやって歩けるようになったんですよってだからそれまでの日本人はみんなこうやって歩いていたんですよって。僕は、それを話したの。それは私の専門ですからって。交互に出すから、それを南蛮の手っていうんだから。やっこさんの踊りなんか見てても、みんなこうやって踊るだろ。しかも、こういう話もしたんだよ。剣道でも、餅つきの時でも、日本人は右足に右、右手を前の人は右足を踏んで前を出すとそれで、左手の人は左足と、いうのが日本式なんですと。

だからね、俺、その話聞いてね、ああ、神様はそうしているんじゃないかと思ったね。なーに人間だけじゃない、こちらに住んでいる動物はみんなそうなるんだって。こんないい話をおじさんがしてくれた。すばらしいでしょう。

それでないとイメージが狂うんだよ東洋系の動物のイメージは。だから、動物的本能なんだよ。なんでもいいように考えて教育できると思ったのが失敗よ。

(続く)
注)古来の日本人の歩き方については古武術家の甲野さんも「ナンバ歩き」として何年も前から紹介しています。
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「馬」①ツイッター033補足

「馬」というものを根源的にどう位置付けていたかという内容です。

*絵馬・神馬など、馬がいなければ神霊は動かない。(平成5年忘年会)

*天上界の動物なんだよ。馬というのは。(平成7年合宿)

*馬と神様を一緒に考えていた。馬は神様の乗りものだから、馬を見て「神様の動向が知れる」と、ついこの間まで日本人は考えていた。(平成六年合宿)

*聖徳太子を何故日本人が気にするのか・・・馬宿の王子だから。キリストも同じだろう。どちらも『馬の精霊を宿している』と考えられた。 (平成五年忘年会)

*馬は神格を運ぶ。だから、絵馬として馬を届ければ神様のところまで運んでいってくれると思っていたんだよ            (平成六年六月例会)
 
次回②としては、「馬に惹かれる人間」という観点の語録を予定しています。

「うつ」ツイッター 032補足

魂が抜けてどこかへ行った状態が『うつ』ですよ。これは「憂鬱」の「うつ」ではなくて『夢うつつ』の『うつ』です。居眠りで『うつらうつら』なんていうのは、魂が出ようか、出るまいか、迷っている状態と言えるでしょうね。
『うたた』も同じです。『うとうと』としてるのは自分の心から動くのをどうとも出来ずにいる状態ですね。
 「うつつを抜かす」というのは「うつつを抜かしている」のではなく「何かを抜かしてうつつの状態になる」ことを言うのでしょう。
 だから日本人はみんなこの気分が好きなんですよ。うとうとする国民としては、きっと世界で一番じゃないですか。(講義録 国語)

「いい子」ツイッター 029・030補足 

☆ツイッター掲載分
上原語録 029 「いい子」①
本当にいい子は『イメージ』も『思考』もいい。(平成二年四月例会)
心に変なクセのない子が素晴らしい。(昭和六十二年三月例会)

上原語録 030「いい子」②
現代の『いい子』は道徳的に聞き分けの良い子、となってしまっている。
生命エネルギーの乏しい子が良い子となる。(昭和六十三年合宿)

☆追加分
*頭のいいことを意識していないような性格もいい子が本当に頭がいい。   (昭和六十三年五月例会)
 
*良く出来る子が無気力になった。「勉強しなさい」と言われて自分を殺していったから、勉強が出来るようになっている。 平成元年六月例会)

*次代をになえる子どもを育てなければならない。それは未知数を感じさせる人間。今の世の中に合うように作られた優等生は、自分の世界を作って外に出ようとしないから次代をになえない。 昭和六十三年六月例会)

*『うんちの絵』なども描けるのが、本当に頭のいい条件。 (昭和六十二年新年会)

 

「遊び」 ツイッター025補足

*子ども達を迷わせてはいけない。本来の姿にもどしてやる。そうして自分のイメージを確認すれば十分一人で遊べる。・・・自分の世界を作り囲いに入れるから。     (平成六年新年会)

*「能力で何かしよう。」ではなく『持っている能力で遊ぼう。』とさせる。
 好き勝手な事をしないと本当の能力は出てこない。        (平成二年十月例会)

編者コメント
 ここでいう「遊び」はもちろん現代風のテレビゲーム等々での遊びではありません。

ツイッターに載せたように 
~『遊び』は本来、神とたわむれる事。神の世界にどっぷりとつからせる。    (平成元年六月例会)~
というように目に見えない世界と交信(交感)しあえる時空に浸るという感覚です。

だからといって、宗教的に特殊なことをいっているわけではありません。
「となりのトトロ」のサツキやメイの遊び方、なんていうのはきっとそんな遊び方です。
あんな風に夢中になって遊んでいると、自然に自分の無意識の深いところが意識化されていくのでしょう。

また、本当の意味での「好き勝手」を幼い頃からしていると「単なる自己中な我が侭人間」にはならないというのが、上原先生(児言態)の立場です。・・・「心意伝承」という前提にたっていることと関連があります。

自分を見失いかけている大人がそれをしようとすると、いま流行りの「瞑想」とか「マインドフルネス」ということになると思います。

プロフィール

HN:
上原輝男記念会
性別:
非公開
自己紹介:
本会は、上原輝男の功績を顕彰し、民俗学・国語教育学の発展に寄与する研究と交流を目的として設立されました。

ここでは上原先生が探求された事柄を、広く一般の方々にも知って頂くために、先生のあらゆる分野の語録を紹介しています。

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