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上原輝男記念会 上原先生著書からの語録

「上原輝男記念会 上原先生語録集」では元玉川大学教授、上原輝男(文学博士 専攻 心意伝承学)の語録を紹介しています。 非常に多岐に渡っていますが、先生が生涯をかけて探求された、この風土、歴史、文化に根付いた<日本人>ということですべては繋がっています。 多様な価値観によってふだんの生活も国際社会での関りも難しさをます現代社会において、先生の語録は大きなヒントになると考えています。

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上原先生が書かれた被爆体験の私小説「忘れ水物語」追い書き

「忘れ水物語」  追い書き
 いざ出版するとなると、この作品の性根のようなものからいって、そうすることが適当であるのかどうか迷ってしまう。
 深くて長い。それでいて、明暗の分かたれぬ以前の薄明と沈闇の、未発の状態でいることが。いまだに正しいように思えてしまう。

 原爆のことを書こうと思ったのは、その傷跡がまだ傷跡とも固まらぬ頃であった。正しくは、書こうなどという意志からよりも、興奮のうわごとを書きつけていたというべきであった。

 そして、その頃、二つの作品を見て、以後、私は筆を折った。
 映画”原爆の子”と、丸木夫妻の”原爆の図”であった。

 世評はいずれも大反響があったが、私は、映画では身震いするほどの嫌悪感を抱き、絵画の前には不思議に素直になれた。人間が破壊されているのに、破壊されない人間が、破壊された扮装をすることに憤りさえ思ったのを忘れない。これ以上の凌辱があるだろうかと思い。人間の愚かしさをつくづく思った。それに較べて、丸木氏が、木炭画を採択し、しかも赤ん坊だけは、無傷の儘に画かれたことに思わず息をのんだ。書かねぱならぬこと、後世に伝えねぱならぬことは、事実よりも、その事実に遭遇した人々の想念なのだ、と自覚させられた。ただし、そのような筆の持ち合わせが、私にあろうはずはなかった。

 折しも、原民喜が、原爆はカタカナでなければ書けぬと言った。私はいまでも、名言であり、箴言だと思っている。

 以後、馬齢を重ねて四十余年、その間、肺癌にも罹り、いくらか人間の業のようなものが見えてきたといったら、生命冥加を知らぬ奴めがと、またまた死神を刺激することになるであろうか。

 しかし、人は、生まれ変わり死に変わりすることが、生命の存続であると知ったからには、書き残さねばならぬことは、その凄絶さではなかった。その修羅ぶりでもなかった。

 そんな時、ふと、巻首に掲げた和歌が、その思いをまとめてくれたのである。

  -別れぬるあしたの原の忘れ水
    行くかたしらぬわがこころかなー

 木作品が、自伝的であり、私小説ふうたのは、決して意図したことではない。ただ、思いに従うことによってのみ、別れても、別れ離れることのない昨日があしたに続いていることに気付かせられたことによる。

 忘れても忘れ得ざるわがこころの秘めごとを、私は素直に書き綴ればよいのだ、と思った。それは一口に言って、幼な心に通う。なぜ、人は子守り唄を唄って、幼な子を寝かしつけるのであろう。なぜ、その眠らせ歌が子守りであるのか。子守り唄には時代かない。また、場所も特定ではない。むしろ時間を捨て、特定場所から遊離することによって。幼な子は夢の中に安らぎを得ることを、人は承知しているにちがいない。

 八月六日、午前八時十五分、私は、広島駅頭に在った。しかし、その時、その場所を、私の知覚は見失った。意識を失ったわけではない。一瞬のうちに、人を包んでいる環境が様変わりするとどうなるか、人は立っている位置すらが分からない。いつ、どこで、何を、のすべてが断絶されて。ここを確定することが出釆ない。建物は建っていて普通であり、戸外であれば、人は歩いていて普通だのに、その普通がなかった。また、爆撃なら、爆撃による破康の過程を見て、人はそう認融し、人の死傷も、傷つき倒れる過程を見て、悲惨の情が喚起されるのに、その過程がなかった。私が習い憶えた知覚の中には、その光景を読み解く能力はなかった。

 この時、私は助けを呼ぶ声を耳にしていない。なぜか。被害の意識が持てるのは、非被害部分を見出した者だけに限られる。
 人は、ただ、うめき、泣いた。いや、ただうめき泣いている物が、どうにか、人であった。
 修羅の巷に、焼け爛れ、腐乱した五体を遺棄して、魂は既に拉致されていた。遠い遥かな妣の国に旅立ちしたかのように、在りし日の記憶が、求めもしないのによみがえった。

 ひょっとすると、死神の招きにあっているからこうなのではないかと思わぬでもなかった。しかし、そんな思いよりも、次々とあらわれる在りし日の在りし姿の方が、私を魅きつけて離さなかった。

 いまでも思う。あの最中、私は左手の甲の異様に膨れ上がったのを、焼けなかった方の右手の平で押しつけ、膿汁をしぽり出していた。そのことを、全く平然と無感動に行い得たのは、ひたすらに妄想の中にあったからではなかっただろうか。現代人は、それを妄想という。しかし、私たち先祖の人々は、それをよみがえりと言った。よみがえりを死からの蘇生などというのは、現代人の錯誤である。よみがえりとは、果たして過去の記憶の再生をいう言葉であるかどうかを、私は疑う。私にとって、決してそれは妄想ではなかった。また断じて過去ではなかった。もし、魂という言葉が使えるならぱ、魂それ自体に働きがあって、未生に帰る作用のあるのを、よみがえりと人は曾ってそう実感していたのにちがいない。

 私はひたすらに、懐郷心にかられていた。人がかく生きたということは、この懐郷心からの遠ざかりをいうのであろうか。人の生命には終焉がある。その終焉があるから、刀折れ矢尽きるが如き生き方を人はかく生きたというのであろうか。その終焉の折に、人は振り返って思う過去の時間が人生だとしたら、あのひたすらな限りない懐那心は一体何であるのか。たとえ、それが死に近い生命体の末期現象だと言われようとも、私にとって、あれは、決して終焉どころか始まりであった気がする。

 原子爆弾とは誰が名付けたのか、私は知らない。私だけがではない。原子とは何かを説明出来る人は、専門家以外、そう多いとも思えない。私は音の似通いからばかりではなく、原子に原始を思ってしまう。原子爆弾は、人間を原始に返してしまう爆弾であった。それは人間にとって瞋恚と悔恨との咒符にはちがいないが、それ以上に、逃がれられぬ咒詛の中にしか生きられないことを思わせられた。
   昭和六十二年原爆の日を前に
                            上原輝男


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関連記事更新  
たぬきの館 平成5年夏 上原先生が小学6年生に語った被爆体験です
上原先生の説かれる現代人にも大切な「意識の転換」ということの大きな原点が被爆体験だったということがわかります
https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12862644362.htmlワニワニ学級へようこそhttps://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12862644362.html
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人間の生き様 かぶき者&現代人

今日が上原輝男没後28年の命日、ということも意識しての特集です。

時には江戸幕府に反抗して処刑されまくった江戸時代の異端者「かぶき者」達と、平成7年当時の人々との生き様について言及しています。

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日本人の心をほどく かぶき十話   上原輝男著 主婦の友社

P5  はじめに ーいざやかぶかん 
 私は以前、『忘れ水物語』という作品を世に出した。これは、一般的にいえば私の原爆体験記なのだが、私はいわゆるルポルタージュを拒絶した姿勢を貫いた。そして、巻頭に「別れぬるあしたの原の忘れ水、行く方しらぬわが心かな」の古歌を掲げた。言いたいことは、広島の焦土に、黒い骸から浮遊した魂魄の行方を、またしても追いかけている無意識を捉えてみたかったのであった。・・・・・・・・

p6 
〈うき世は夢よ。消えてはいらぬ。とかひなふ、とけて。とかいの。

〈せめて言葉を。うらやかにの。今かへる我に。何の恨みぞ。

〈夢はへだてず。海山を。越えても見ゆる。よなよなに。

 これらの風潮を享楽主義とだけで片づけてよいものであろうか。そんなこと言うなら、現代の方が どれだけ無価値な享楽の怠惰性が蔓延しているかわからない。かぶき時代は決して怠惰ではない。怠惰どころか、かぶきという感情思考は、死線を超えた者が見たしたたかさが無うてはかなわぬ。怠けはこの世的でありすぎる。だからかぶき者は汚くない。

・・・当時横溢した生命力は徒らな放出を意味しない。憂き世から浮き世にの意は苦悩から軽佻への転換というのは、誤算的飛躍で、それならば、生きすぎたりやの実感が生まれ出る転機が不明である。現世より確信できる生命燃焼の傾斜自覚が、生きから意気、さらに粋へ、立てから反逆(たて)つく、更に伊達に振舞うの気風を作るのであって、先の世の下剋上は現実処理が先行しているだけに、比重は重いが、憂き世から浮き世へは、この世に比重を置かない決意と覚悟を認めなければならない、だからこそ、かぶき者という特異な生き方集団に献上された命名であったのである。

 戦後五十年、焦土と化した敗戦日本の憂き世の中から、あのとき、不死鳥のように立ち上がった我々の胸の中に画いたのは、今日只今のような日本人の在り方であったろうか。傾き、数寄等々、特異、別派の心情を、もう一度考えているわけではない。しかし、彼等はこの風土の中で、その力学のままに活きたことだけは確かであった。その無意識の行動伝承を集めて、私なりにふりほどいてみたのが本書である。
平成六年、旧明治節に雨の降る日  上原輝男

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江戸時代の異端者「かぶき者」は、当時風紀を乱す者としてかなり厳しい取り締まりを受けたようです。歌舞伎役者もそういう人達が舞台の上で演じていたということで「歌舞伎」も何度も禁止令が出された・・・大勢の人達が処刑もされたと。それでも自分達の生き様を貫いたのが「かぶき者」達だったということです。

今風にいえば「反社会的な行為をくりかえす若者達」ということになりましょうか。

ただ、当時のかぶき者たちと比べた時に、(平成7年当時でいう)現代人の生き様はどうなんだろうと、先生は疑問をなげかけているわけです。

先生も明言していますが、「反社会的行為」等々を容認しようとしているわけでは決してありません。
人間としての「生命の燃焼」・・・・それが生き様の根底にどれだけエネルギッシュに渦巻いているのか・・・それを問題にしているのだと受け止めています。

行動の是非は別として、幕末でも戦後の学生運動の時にも若者達がそれまでの大人たちが作り上げた世の中に対して声をあげ、すさまじいエネルギーを爆発させていたのは事実です。

かすかな記憶しかないのですが、確か七五三か何かで明治神宮に連れていかれた時だと思うのですが、原宿駅前でものすごい数の学生たちがデモ行進をしていました。なんだか分からないけどその雰囲気に圧倒された感覚は60年近くたった今でも覚えています。

令和の時代・・・先生は今の若者達をあちらの世界からどのようにみているでしょうね?????

☆重ねていいます・・・反社会的な行為を煽っているのでは決してありません。

*個人ブログの方でも、命日にちなんでの記事をアップしています
上原輝男語録にみる古来日本人の感覚ー23
「人格は個人ではなく家系」
https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12847898627.html

*上原輝男記念会 資料集サイトでは、上原先生の命日にちなんで寄稿された4つの資料を今日(4月11日)の午前中には更新する予定です。是非そちらもご覧ください
http://jigentai.edo-jidai.com/

"若"の思想

"若"の思想
きのうから「ちゅらさん」づいていますが、あの中で一番魂が若いのは「おばぁ」じゃないかと思っています。
年齢的には登場人物の中で最高齢ですけどね。

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感情教育論 昭和58年 学陽書房

"若"の思想――-序にかえて  より

折口学では、「一家系を先祖以来一人格と見て、其が常に休息の後また出て来る」という。つまり、「死は死でなく、生のための静止期間」をいい、生は蘇生であって、新生ではない。ということは、神意神霊(魂)の憑りつくことによって生命が復活するのである。日本語における「若返る」という語も、これで初めて納得がゆく。

 "若"は日本人にとって、根底的な生命存在観だといわねばならない。また具体的な教育の根本 もある。古来日本人にとって、"若"は人間の年齢区分でもなければ、また一定年 容詞でもなかったのである。"若"は"別(わけ)""湧(わく)"などと同じ動詞に想到すると先師の早くからの指摘がある。"若"は蘇生魂の別名とも、またそれに対する日本人の鋭敏な直観とい ってもよいものであった。

 最近、思うところがあって、なつメロから最新曲まで、数冊以上の流行歌謡集について、"若い。 という単語がどのように使用されているか調べてみた。

昭和一〇年の"二人は若い"、昭和一一年 の"愛の小窓"へ若き生命を散らすやら。昭和一二年の"青い背広で"へ若いぼくらの生命の泰 よ、といったぐあいにである。連想的にも、甘さ、青春、生命、新鮮、清純等の語が謳われて当然 と思えるのだが、最近の歌詞にはそれが見当らない。だいいち、"若い"、という語が姿を消している。若さの変貌であろうか。

・・・・・・・・・けがれを知らぬ新雪の、と謳いへ若い人生に幸あれかしと祈る瞼に 涙と愛唱した"新雪"は昭和一七年である。戦時下はへ若い血潮の予科練のと、血気 発想され、散り急ぐ桜花に響えられた。その功罪はいま問わぬとしても、これだけ歌や踊りに明け 今に、いずれにしろ、その歌詞を失うというのは、"若"の思想が衰弱し混迷し だけは確かであろう。

 たまたま見つけた昭四七年"瀬戸の花嫁"では、⋯⋯お嫁に行くの。若い とだれもが心配するけれど⋯⋯とある。

経済成長、高齢社会化という日本人初めての生活体験は、 若さの基準そのものを狂わせ始めているのかもしれない。年齢的なものはもとより、その内容に至 っては、求められ問われることがないのと、日々ますます非行少年、暴走族なる異名が壮んとなる こととは決して無関係ではない。

 まず、"若"の思想を求め直そう、そんな気持ちが働いて、上梓の機となったように思う。
昭和五七年師走 上原輝男

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現代人であっても、同じ生命を宿してこの世に生を受け、生きているわけですが・・・生きる活力はだいぶ弱っているように感じられますよね。案外若い世代よりも、還暦以降の年代の人の方がエネルギッシュに生きているようにみえることもあります。

もちろん介護施設などで弱り切った生活をしているお年寄りもいらっしゃる一方で、そうでない方々がいらっしゃるのもまた事実。
そうしたことの背景には、こうした「若」への意識の違いもあるかもです。

長寿という物理的な時間を問題にしているのではありません。
たとえば「若がえり」という言葉がありますが、肉体が若くなるというだけではなく、挫折回復力のようなエネルギーの回復もさすのだろうなと。むしろそっちの方が万人にとって大切なのかもですね。


上原輝男語録にみる古来日本人の感覚ー16
「いのちの力」
https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12847032228.html

*ウマ娘をきっかけに競馬のことをちょっと知ったわけですが、今の教育って「大逃げ」タイプのことばかり強いているような感じですよね。
でも後半スタミナ切れを起こしてしまうこともある。

生命力とか若の問題って、こういうことからもいえますね。

「個人の心も伝承の流れの内」

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日本人の心をほどく かぶき十話   上原輝男著 主婦の友社

戦後の日本人は戦後の教育が間違ったか、徹底したのか、心は自分のものだというふうにみんな考えるようになってしまった。そして我が心は自分で自由にできるというふうに、自信過剰になってしまった。

 しかし、自分の心は自分の心でありながら、自由にできないのが本当ではないのだろうか。自分の心だという以前に、もう自分の心はつくられている。長い年月かかってつくられている。ただ、人間は歴史的な存在だから、その長い年月というのも、そういう意味で私が今言っているというふうに思われそうだが、もっと丁寧にいうと、どうも数代にわたってつくられると考えるべきではないだろうかと考えている。

 数代以上には及ばないのかという反論が出るかもわからないが、そこは人間の記憶の問題があるだろうというふうに考えられるので、数代にわたってつくられるというのがいいと思う。だから、決して人間の心は、古人が思うように自由自在につくっているなんて、とてもできない。こう考えているのが私の現段階での考え方である。

 別の言い方をすると、日本人は日本人なりの杖を持っていることになろうと思う。

・・・・・・こういうふうに、一つひとついい出したら切りがないが、日本人には日本人の心の偏向、偏りがあるということである。あるいは趣味といってもいい。好みがあるというおとである。こういう問題を歌舞伎を通してふりほどけたらと、考えている。
P10~

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「個人の・・・」ということばかりが主張され、学校教育も個々人の保護者や各お偉いさんたち、業界さんの方々からの「公教育」から大きく逸脱した無理難題にふりまわされていることで混迷を深める現代社会。

「伝承」などというと頭から「封建的だ!」と非難されそうですが、やはり「伝承」という「通性」を失ったら、良き社会の実現を担いつつ、自分らしく生きるという人間への成長はできないと思うんですよね。


1日からNHKで再放送がはじまった「ちゅらさん」
自分の夢を追いかけ、自由に生きようとする人達・・・でもやっぱり知らず知らずのうちに、大きな心の流れにのっかって生活している・・・・そんな生き様をユーモラスに・・・でも時としてホロリとさせられるように描いている素晴らしいドラマだと思います。

理屈抜きで楽しむことが最優先ですが、観終わったときに、上原先生が探求していた古来から「日本人の心」に伝承されてきたこともフトふりかえってみると、みなさん自身の生活もどんどん広がるのではないでしょうか。

まだずっと先の展開になりますが、ドラマの後半や、あるいは後に制作された続編シリーズなどは子育てが描かれるのですが「教育」の根源を問い続けている作品という観方もできます。


上原輝男語録にみる古来日本人の感覚ー15
「いのち」
https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12846930691.html

*全編を通して「おばぁ」の語りの内容などは、まさに我々に対しての「教育」ともいえますけどね。
現実的には脚本の通りにしゃべっているだけではないか、と突っ込まれそうですが(笑)

でも、以前別のブログでとりあげたまさに「テレビ作家の教育力」といえます。

上原輝男語録にみる古来日本人の感覚ー9
「テレビ作家の教育力」
https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12845368943.html

「日常生活での言葉の教育」

「国語」は単なる1教科ではありません。家庭などでの日常生活、学校生活そべてが「国語の学習」となります。
そして、幼い時ほど、コミュニケーションの道具とは違う観点での言葉の獲得が重要です。

*************************
小学校の国語かくあるべき ~現代国語教育の盲点と批判~
昭和53年 学芸図書

今日の国語教育が言語生活や言語活動の指導であらねばならぬという意味は、英会話を習って日常生活の用が足せるようにしてやるということと同じではなかった。

言語生活と殊更に言う内容は、 われわれが(大人も子どもも含めて)ことばと向き合う自分、あるいは自分にまつわりついて来ることばを処理しなければならない生活を思うからである。また思わなければならないように仕組まれているのが、人間の一生ではないか。
P20
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「言葉とはコミュニケーションの為のツールである」とうのが、先生のいう「英会話を習って・・・」の部分になります。

実際に現代社会は大人になってもこのコミュニケーションへの苦手意識は相当なものですね。
もっとも日本人は、いわゆる「社交的な言葉のやりとり」はあまり得意でなかった民族・・・場面によっては「黙る」ことを美徳として生活してきたという歴史があります。

だから昭和のある時期から急に西洋流に社交界での社交術のような・・・ある種演じるような・・・ことに転換しましょう、と言われてもなかなかそれが出来ない人の方が多かったと思います。
それでも無理に演じて若者が疲れ切ってしまったのが「ネアカとネクラ」以降のことだったのでしょうね。

いつか改めて詳しく紹介しますが、上原先生はこうしたことに関して「母国語は外国語とは全く違う」ということを様々な場で主張しています。

*参考
ワニワニHP 特集「コミュニケーション雑感」シリーズ
waniwani@olive.plala.or.jp

もうすぐ新学期でのあらたな学級経営がスタートする教職員のみなさんも多いと思います。

「出だしからビシッと躾けなければならない」「最初の数日間で決まる」
ということは昔から言われてきましたし、ある意味でそれはそうなのですが、「躾ける」という中身が問題です。

お互いに相手の言葉をきちんと聞き合う、頭ごなしにバカにしない、批判しない・・・という、最低限の礼儀・マナーを躾けることはとっても大事なことだと思います。その上で秩序ある「ナマ・本音」の出し方ができるという雰囲気のクラス作り。

ただ、中には「教師の指示通りにきちんと動く」「教師の期待することを察して言動をコントロールできる」というようにするのが躾だという考え方もあります。

特にそれが威圧的に行われる、あるいはクラス内でなかなか言う事をきかない子を見せしめのようにして、優越感を大半の子にうけつけて思い通りに動くようにさせる・・・それは、どんなに統制がとれているようにみえていても、人間として最も大切な心や生き様が未発達であるばかりか、屈折した感情をすべての子ども達に獲得させてしまうことになりかねないと、私は考えています。

家庭教師で学校嫌い・学校不信になった子ども達の中には、嫌いになったきっかけとして「習っていない漢字を使ったらものすごく怒られた」「自主学習ノートで、自分が好きなことを図鑑で調べて書いていったら、学校で教えていないことは勉強ではない、って叱られた」という子もそれなりにいました。

そういう先生方は、子ども達の成長に関わるすべてを、自分の授業だけで獲得するのだと思っているのでしょうかね???


☆昨日の記事に対してこのような感想がよせられました
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投薬という西洋の発想って成分を抽出してピンポイントで作用させる、乱暴な言い方をすると抗癌剤みたいに癌に効くけど、副作用として健康な細胞にも破壊を及ぼしてしまう。

現代の教科書を見ても抽出ばかりで同じことだと思います。
覚えているけど肝心な中身はよく分かっていない人は沢山いる。

これをやっておけば大丈夫という発想には落とし穴があるという事ですね。
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プロフィール

HN:
上原輝男記念会
性別:
非公開
自己紹介:
本会は、上原輝男の功績を顕彰し、民俗学・国語教育学の発展に寄与する研究と交流を目的として設立されました。

ここでは上原先生が探求された事柄を、広く一般の方々にも知って頂くために、先生のあらゆる分野の語録を紹介しています。

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