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上原輝男記念会 上原先生著書からの語録

「上原輝男記念会 上原先生語録集」では元玉川大学教授、上原輝男(文学博士 専攻 心意伝承学)の語録を紹介しています。 非常に多岐に渡っていますが、先生が生涯をかけて探求された、この風土、歴史、文化に根付いた<日本人>ということですべては繋がっています。 多様な価値観によってふだんの生活も国際社会での関りも難しさをます現代社会において、先生の語録は大きなヒントになると考えています。

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日本人の二元論 両義性が感覚の基本 

たまたま昨日、山梨大学名誉教授であり、上原輝男記念会の専門委員でもある須貝千里先生と語り合える時間に恵まれました。
その中で盛んに先生から出ていたのが「二進法のもともとの発想」に関してでした。

そのこととつながりの深い文があったので紹介します
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「心意伝承の研究 芸能編」より
昭和62年1月16日 桜楓社

「うそはまことの骨、まことはうその皮」と喝破できむ江戸時代の感性は失われていなかったのかもしれぬ。 と実、陰と陽、表と裏、内と外、聖と俗、貴と賤、公と私、等々日本式の二元論は、何も、演劇改良の時期に思い ついたわけではない。もともと根強く日本人の心理深層に巣喰っていたものといわねばならない。たまたま、語句的言い慣わしに従って先の二元名辞を例示したが、これを次のように整理し直してみると、

虚ー実
| |
陰ー陽
| |
裏ー表
| |
内ー外
| |
俗ー聖
| |
賤ー貴
| |
私ー公

の如くなり、その共通対応に意識の整合性を見出すことが容易である。

・・・・・・ハレの日の「客人 (まれびと)」がケの日には「乞食人(ほかいびと)」となる両義性が日本人の感覚には流れているといわねばならない。 簡単にいうと、歓迎され愛される神は、また忌避され追われる鬼である両義性を感覚の基本として具有していると との追求がしてみたいのである。(P230)


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デジタル思考・・・「0と1」からなる二進法・・・は現代人にはどのように受け止められているのでしょう。
きちんとした調査をしたわけではないですが、
「0と1の 二つしかない」 ・・・目に見える存在だけが存在 みえない世界などない かんがえたくない
「0か1か の二つにひとつ」・・・両極端な発想で、どちらかになる。極振りで間がない
という傾向が日々強まっているのではないでしょうか。

その一例が、好きな漫画でも音楽でもアニメでも「流しよみ」「早送り再生」をする傾向なのだと思います。
「その世界を味わい尽くす」のでなないんですよね。核心と思われる部分を知る事ができればいい。
それ以外は関係ないものとして切り捨てる、という発想です。

「抽象化」といえば聞こえはいいですが、本来「抽象化」は「具象化」とワンセットであり、一度あらゆる部分を切り捨てたからこそ、逆により幅広い具体的なこととつなげていける・・・「普遍化」につながっていくわけです。

それを学ぶというのが、義務教育段階での「数学」の大切な基本姿勢なのだと思います。
世界観の広げ方そのもの・・・ですから、数学は人間理解・古典や文革の世界を深く理解し、共振・共鳴していく上でも大切な素養になると考えているのです。

上原先生が中学年から論理思考、というのも単に理数教科が得意になるため、という現実的な利益から考えたわけではありません。個々人の抱いているイメージ・思い込み・まとわりついている感情 などから一度切り離して抽象化することで、爆発的に多くのこととのつながりがみえてくる・・・折口先生の大切にされた「類化性能」です。(みかけ上異なるものの裏側に関連を見出す能力のこと)


昨日、須貝先生が強調されていたのは、二進法は「0と1だけという世界観」ではなく「0と1で、あらゆる世界を表すことができる」さらには「形としてあらわせたものの、さらに向こう側には形にならない世界がある」という発想がもともとはあったんだということです。

それが仏教的にいえば「虚空の世界」。数学的にいえば「虚数」の世界ですね。どちらにも「虚」の字が入っているのが興味深いところです。



先の著書のことを、子供向けには

「あれか これか」ではなく「あれも これも」という発想をとらせるということだよ

というのも上原先生が月例会で話されていました。私の教室の全面にはこの言葉を掲示していました。

西洋的な合理的思考にそまった現代人の常識からすれば「相反する・矛盾するものが同時に存在」というのは奇異に感じるでしょうね。「どっちかでしょ、両方同時なんてありえなくね?」と。

でもそれを平気にやって昔から生活していたのが日本人の特徴です。
これは、それがいいか悪いかではなく、それが日本人の心の奥底にしみついている発想の仕方であり、生き方なんです。

それが表層的な部分だけは、急激に「矛盾は同時にはありえない。どちらかをはっきりさせなければならない」となってきたわけです。
「あいまいさは日本人の悪いクセだ」
「そんなわけのわからないことを言っていたら、西洋人と対等にやりとりができない。」

その結果「0と1」の間には無限の段階があるのに・・・二進法ではすべての数を表せるという広がりをもつのに・・・極端に抽象化しているからこそ、みえない世界も含めてあらゆる世界を内包しているのに・・・・それらすべてを切り捨ててしまっているのです。

だから
人の心についても表層的にしか考えない、その裏側を感じとれない、感じとろうともしない。
地位やお金のように目に見えるような物質的なものにしか価値を見いだせない
卑怯なろうなそんなのは気にしない 自分だけが得をするという結果を出せればいいんだ
・・・・・
そんなことで、他人を潰しながら、実は自分も他人から潰されるという生活を送っているんですよね。

「あれかこれか」ですから生き残るのはどちらか一方だけ
「あれももれも」なら共存共栄

今回は「虚」の部分には十分ふれられませんでしたが、本当はそのところこそが人間にとって大切な部分です。

*個人ブログ「たぬきの館」での今朝の上原先生の言葉は「絵本」に関してです。
仏の真理はことばや文字で表すことができない、という真言密教の観点などから絵本について語っています。
https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12845588308.html
あわせてお読みください。
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プロフィール

HN:
上原輝男記念会
性別:
非公開
自己紹介:
本会は、上原輝男の功績を顕彰し、民俗学・国語教育学の発展に寄与する研究と交流を目的として設立されました。

ここでは上原先生が探求された事柄を、広く一般の方々にも知って頂くために、先生のあらゆる分野の語録を紹介しています。

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