「我慢」というのは「我 おごる」と書くわけで、考えてみると、親が子供に「おにいちゃんだから、おねえちゃんだから、我慢しなさい」と言い、弟の方に向かって、あるいは妹の方に向かって、我慢しなさいとは言っていないことから考えても、つまり、高き位置にいる者が、高き位置にいるんだから、それを許してやれというのが本音だと思う。
(かぶき十話 P,12)
→(編集者)現代社会は他人に対しては過度に「我慢を強いる」ことをしながら、自分は「欲望のままにやりたいほうだい」という傾向の人間が目立ちます。「やったもの勝ち」なんていうのはその典型。
自分を高める「気位」の意識とつながって自分に向けるならいざ知らず、結局は自分の思い通りにしたいがために、それを妨げる行為に対して他人には我慢することを当然のごとくに要求するという極めて幼稚な意識です。
子どもに対して「結果を出すために 我慢」を強いる場合も、口では「お前の将来を思ってのことなのだ」と言いつつ、本音は大人の側の利益のためということも多いわけで・・・子どもはちゃんとそれを見抜いています。
もっとも勤務評定などで結果を出さないと上からヤイヤイ言われ、立場が保証されなくなっている学校側を一方的に責めるわけにはいかないのもまた事実。
ホンモノの教育をしようとすればするほど、親からも行政・政治からも批判される世の中ですから。
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