昭和43年初版、上原先生が最初に出版されたものだと思います。(40歳代になりたての頃)
あとがき
ずいぶん、思い切ったことを書かせてもらった。まだ熟し切らぬ論考までも書き立てた。批難、反撃も充分に覚悟している。図々しいからでも喧嘩好きだからでもない。いま必要なのは、国語教育についての論争だとつくづく思うからである。だが、論争のためにする人さわがせをやったとは思っていない。
雨が水面を叩く場合も、淡雪が静かに水面に融ける時も、じっとわれわれは水面に目を注いで興味に思うことがあるのに、どうして、子どもの頭の中に浸透して行くことばの雨脚を見ようとしないのだろう。ある時期をおかなければ、その水嵩の増したことはわからない代物かもしれない。でも、それでは、われわれの仕事が勤まっているとは思われないために。この書を書いた。義務感というよりも、小さい者が生きて行く愛着のために書き綴った。
だから、この書は、小学校国語教育の解き明かしというよりも、その対象をどこに求めるかの方に向かっている。それも解説ふうに述べるほど乾いたものとはなっていないことも知っている。熱意で書かれた文章が読者を疲れさせることも知っている。しかし、対象が生きているのである。そして、いまもなおことばに反応し続け、成長しつつある。その反応が、その子のものであり、その子のことぱの経歴なのだと思う。
人間だれしも、この自分のことばの経歴上の失敗譚や疑問の一つや二つは持っているし、どういうものか、この一つや二つを長い問、誰にも言わず、子どもは胸に秘め続ける。きっと細かく分析が可能であったら、一つや二つと言わず、その連続であり、みごとにその子その子なりの経歴や累積の仕方を呈しているにちがいない。
…既に書いたが、われわれはそのために顕微鏡が使えるわけでもない。聴診器を持つ医者が羨ましい時もある。電子計算機が使えて、教室にそれが入る時はいつであろうか。などというより、われわれおとながこのさわがしい世の騒音からふと耳に蓋して、静かに自分と対話するとき、生きて行くわが身と、自分のことばの成長を思うことがある。そしていままた小さき者が、いじらしくも綴りつつある、おのれのことばの小径の前途を思い遣る人間同士の直観を、わたしは尊重したい。そしてそれこそが、国語教育の基底に据えられるものであるし、それをもう一度、しっかり掴み直してみたいと思ったのである。
昭和四十三年春
著 者